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選択の余地なく・・・(その10)

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上から(膝の上)
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正面から
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似たような写真ばかりだけれど、ぼんちゃんがかわいいので。

選択の余地なく・・・(その9)

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ずーといっしょです
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いつもぼんちゃんがいてくれて、おっさんは幸せです。

ふだんのぼんちゃん(その33)

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おっさんの面倒でもみようかな、
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(おっさん)ぼんちゃん、ありがとう!
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やっぱりやめよう・・・

お散歩(その7)

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(おっさん)お散歩というか、クルマでドライブだよ
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(ぼんちゃん)迷惑だな・・・

選択の余地なく・・・(その8)

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日々、おっさんの面倒を見ています・・
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上から見たところ

ふだんのぼんちゃん(その33)

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あまり変化のないアングルですが、
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いつものぼんちゃんです。

のびのび(その10)

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のびのびしてるよ~
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ふだんのぼんちゃん(その32)

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いつものぼんちゃんです。
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②幻の“ロータス・ヨーロッパ ロータリー ゼロ”

「幻の“ロータス・ヨーロッパ ロータリー ゼロ”」
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(画像はwikipedoaより、ロータス・ヨーロッパS1)
前回‘その①が小林彰太郎さんの話題だったのでやはり②は、日本の自動車ジャーナリストの二大巨匠のもう一方の徳大寺有恒さんの話題で、という訳でもなかったのですが、たまたま徳大寺さん関連の話題で続きます。(なお、前回のその①は全くの自分の創作だったけれど、これからの②以降は、自動車雑誌や単行本から“お題”をもらってテキトーにダラダラと与太話をする展開となりますが、引用した記事部分は二重『』で、文字は太文字ので分かるようにしておきます。)
以下、徳大寺有恒著「ぼくの自動車史」より、
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時代は1960年代の終わりのころの話です。
『~そこにドーンと登場したのが、晴れて開発なったロータリー・エンジンをこのボディに搭載した、ファミリア・ロータリー・クーペである。ロータリー・エンジンをファミリアに載せたらどんなことになるか。答えは“速い”の一語である。』
当時のマツダのロータリー車のキャッチコピーは、 “走るというより飛ぶ感じ!” だった!! ちなみにカーグラの小林彰太郎さんはロータリーや、ホンダのツインカム高回転エンジンのことを、“電気モーターのようにスムーズな”という、確かイギリスの自動車雑誌由来の言葉で表していたが、50年後にまさか実際に、そんな世の中になりつつあろうとは・・・。
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写真は1969年の、スパ・フランコルシャン24時間耐久レース(ツーリングカーレースの最高峰だった)で、総合5,6位に入り大健闘したファミリア・ロータリー・クーペ(輸出名R100)の雄姿。本格的に優勝を狙いに行った翌1970年バージョンの、オーバーフェンダーが張り出したものよりシンプルで、いかにもコーナーで転がりそうな?外観のこの形の方が自分は好きだ。当時のカーグラの記事で、名門BNWやアルファロメオより、あのファミリアの方が速いのに衝撃を受け、ロータリーのパワーに狂喜し、日本の誇りに思った。ファミリアより上位は、レギュレーション上、後ろにも+2のシートがあるということで、無理やり?“ツーリングカー”として出場していたポルシェ911だけだった。
『~ともあれロータリーのパフォーマンスにはすごいものがあった。』
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写真はダイムラーベンツのロータリー・エンジン搭載の実験車C111の初代(C111-I;3ローター)と二代目(C111-II;4ローター)。ガルウィングドアで、まさに300SLの再来だった。ダイムラーに限らず、GMも日産もトヨタもどこも、この時点ではロータリー時代の到来を信じて疑わなかった。 「一時、マツダはロータリーで自分の世界を開くかと思われた。」
ここで当時の徳大寺さんに話を戻すと、トヨタのワークス・ドライバーを解雇されたあと、仲間と立ち上げたカー用品販売会社の“レーシングメイト”が絶好調の時期であった。(その後倒産という辛苦を味わうのだが。)
ここで“巨匠”がスズキとコラボしてフロンテSSをドレスアップして東京モーターショーに出品した、“スズキフロンテSS360 (いちおう”コークボトルライン“だ!)レーシングメイト”の雄姿を。下の写真だとズングリムックリだが、実車はめちゃかっこよかった!
https://blogs.yahoo.co.jp/frontegcw/68943308.html
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モーターショーでは立派なカタログも配っていて(自分ももらった)、とにかくやることなすことオシャレかつエンスーっぽく、日本離れしていた。
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『この当時、ぼくはなんとかして自分の手で、自分の会社で自動車が作りたくてならなかった。』
徳大寺さんは、この日本が誇るマツダのロータリー・エンジンと、市販ミドシップ・スポーツカーの最初期の秀作であった、ロータス・ヨーロッパを結びつけようと考え、実際に行動に移す。当時30歳に届かないころだったはずだ。
『イギリスに渡ってロータス社の門をたたき、ロータス社のお偉いさんにひとつロータリーを積んでみないかと提案したのである。すると「興味がある」との返事である。じゃあ、帰ったらロータリーエンジンを二基送るから、試作してくれということで話がまとまった。当時は簡単なもので、エッコラホイでオーケーとなったのである。』
『イギリスに行く前からマツダに話を通しておいたから、手はずどおりさっそくロータリー・エンジンがロータス社に送り届けられた。』
この計画を、別の記事からも辿ってみる。以下、カーセンサーの記事(NAVIの記事が元か)より、徳大寺氏の話を引用
『その当時、僕もロータス エラン26Rというレーシングマシンを日本に輸入してレースをしていた。その関係でロータスとは関わりがあったんだ。それでロータス ヨーロッパが出た時に、これは面白いと思って、日本にキットカーとして輸入しようと考えたわけだ。』
https://www.carsensor.net/contents/editor/category_849/_58953.html
元々徳大寺氏とロータス社はコンタクトがあったようだ。
ロータス・ヨーロッパの説明は不要だろうが、一つだけ特記すれば、元々フランスのルノーとのコラボで生まれ(ルノーR16用エンジンをルノー自らチューンして供給)、当初はフランス(大陸)輸出用(なので左ハンドルだった)で、イギリス国内向けとしてはハイ・ギヤードでアンダーパワーだった。そのため、ロータス側としても軽量コンパクトかつパワフルで、しかも当時話題の最先端のロータリー・エンジンを積む話は、渡りに船だったろう。
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初期のヨーロッパは、後の“サーキットの狼世代”より清楚でどこか気品のある外観が美しい。ただいかにも後方視界が悪そう(無い?)だ。当時のカーグラの長期テスト車でも、確かそのように言っていた。
https://minkara.carview.co.jp/userid/608068/blog/31865476/
さらにこの記事にもうひとつ、“キット・カー”という注目すべきキーワード?が出てくる。ロータリー車の時代到来を予感させたこの当時、ロータリー・エンジンの基本特許を持っていた、ドイツのヴァンケル社は門前列をなす有様で、超強気の商売だったはず。実際このあと襲った石油ショックさえなければ、大メーカーから本格的なスポーツタイプのクルマが続々登場したことだろう。
徳大寺さんとロータス社は、キットカーという、いわば半完成状態的な曖昧な立ち位置を利用して、ロータス・ヨーロッパのシャシーを輸入して、日本の徳大寺さんの工房でエンジンをドッキングさせる(=建前上マツダも、ロータスも直接関与しない)という、間接的で和らげた形で販売しようと意図したのではあるまいか。(あくまで想像です。)
※注;キットカーとは=特にイギリスで「ほぼ完成状態だが、一部のみ購入者が組み立てる必要のあるキットカーというものが、税金を安く抑えるという意図で販売されていた」もの。
https://www.discoverychannel.jp/0000006698/

『ところがである。この計画のことを当時の主査、松田耕平さんが、「ロータスにロータリーを積ませるから、おもしろいクルマができるよ」と、記者会見で発表してしまったのだ。いうまでもなく新聞にでかでかと記事が出て、すぐさまマツダの提携先である西ドイツのヴァンケル社から横槍が入った。おまえ、ロータリー・エンジンを輸出するのは契約違反じゃないかというのである。』
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写真はGMの試作車“Chevrolet Aerovette 1973 4Rotor Concept”。ヴァンケルとしては、世界初の市販ミドシップ、ロータリースポーツカーの称号は、まず母国の西ドイツを代表するダイムラー・ベンツや、当時の自動車世界の王者GMに持たせたかったはず。そこへ“カネになりそうにない”うえに、F1の世界で高いステイタスのあるロータスに、その称号をかっさらわれてしまったら、妙に歴史に残るクルマで残ってしまうし、“とんびに油揚げをさらわれる”とはこのことで、オモテから門をたたけば、門前払いだっただろう。
でも、既成事実を作ってしまえばどうだったか。何台かは世の中に出たのではないだろうか。そしていまでも、“幻の名車”で残ったはずなのに、残念な話だった。
因みにマツダ自身もミッドシップのコンセプトカー“RX-500”を東京モーターショーに出品していた。

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『かくしてこの計画は終わってしまった。計画の名前は“ゼロ計画”。ぼくはプロデューサーをやり、こういうことの好きな式場壮吉君も一枚かんでいた。そのクルマができたら、“ゼロ”という名前で売ろうということでゼロ計画と呼んだのだ。ゼロは零戦のゼロである。』
下の写真は、結局市販化されずに終わった“童夢-零”
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レーシングカーの世界では、“紫電”や
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さらに“紫電改”なんてのもあった。
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モーターサイクルには“ハヤブサ”があるが、これは戦闘機というよりも、鳥そのものの由来だろう(と思われるが)。
やはり、“ロータス ヨーロッパ ゼロ ロータリー”こそ、“ゼロ”ファイターを名乗るに相応しかったのではなかろうか。

『日本に戦闘機の名前のついたスポーツカーがないのは惜しいじゃないか(徳大寺有恒)』徳大寺氏がいうからサマになる。
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外観は英国調の、スピットファイア的(クルマでなく飛行機の方の)だけど、中身はゼロ戦的思想の、日英合作の歴史に残る、良作になったのではなかろうか?いかにも惜しまれる、”幻のクルマ”であった。

プロフィール

マルプーのぼんちゃん

Author:マルプーのぼんちゃん
【ぼんちゃん】
推定年齢12歳(2020年6月現在)ぐらいの、オスのマルプー犬のぼんちゃん。年より若く見える。マルプーではちょっと稀な“キレカワ系”💛 性格は、おとなしくてやさしくて人懐っこくて庶民的?でも対犬ではかなり臆病。散歩だけはたくさん(1日1~3時間ぐらい)させてもらっている。選択の余地なく、毎日おっさんの面倒をみている。
【おっさん】
推定年齢60歳+のシガナイ初老の独身オヤジ。ひょんなことからぼんちゃんと2人で暮らすことになったが、おかげさまで日々シアワセに暮らしている。

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