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⑤“カクカクシカジカ”と“つくつく防止”

ダイハツのスゴイ、ネーミングについて、雑誌ベストカーが記事にしていた。今回はその軽めの話題を。『青字』は引用部分です。
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後付けの、ペダル踏み間違い事故防止システムを、トヨタとダイハツが同時発売した(2018.12.05)。システムはほぼ同じなのだが、『しかし、まったく違うところもあって、それはネーミング。トヨタが「踏み間違い加速抑制システム」という遊び心ゼロの名前を付けたのに対し、ダイハツは「つくつく防止」としてきたのだ!』
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『後付けの「つく」に事故防止の「防止」でつくつく防止。控えめに言っても天才的な仕事である。』
このベストカーの雑誌記事より、『ダイハツネーミング歴伝』を紹介していくつもりだったのだが、なんとweb版ベストカーでもこの記事を紹介していた!若干の違いはあるがほとんど同じ内容だ。(世の中甘くない・・・。)
https://bestcarweb.jp/feature/column/57735
そこで前半は、web版ベストカーの記事『「お、パイザー。」って?? カクカクシカジカだけじゃない!! ダイハツのネーミングセンスが凄い』をダイジェストに、過去のユニークなネーミングを振り返り、後半はそこから脱線して、スズキとも絡めて一本のネタにしました。
『思い起こせばダイハツのネーミングセンスは、昔からとてつもなく高いレベルにあった。そんなダイハツのネーミングセンスを振り返ります。』
最近のダイハツのネーミングで、もっとも有名なのはやはり、「カクカクシカジカ」(ムーヴコンテ)だろう。
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『四角いボディが特徴のムーヴコンテ用CMキャラクターだった「カクカクシカジカ」だが、今ではダイハツ全体のマスコットに成長。四角いデザインを表現するのに「カクカクシカジカ」とするセンスがダイハツ流だ!』
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「ドデカクつかおう。ウェイク」(ウェイク)
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『この「わかりやすさ」がダイハツネーミング術のミソで、(一部を除き)消費者に一瞬にしてアピールポイントを理解させるのが得意。』
「べた踏み坂」(タントカスタム)
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これも男路線。直球でわかりやすい。
『鳥取県と島根県の県境に実在する江島大橋のことで、こんな級坂でもアクセルベタ踏みでなく余裕で登れるというパワフルさを表現したもの。実は、見る角度や撮るレンズによって級坂に見えるだけで、実際にはそうでもない』そうです。
「ミラクルオープンドア」(タント)
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説明不要だろう。ちなみに初代タントは開発中に社内で「猫バス」と呼ばれていたそうだ。
「置きラクボックス 置きラクレイアウト」(ムーヴキャンパス)
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『「置きラク」=「お気楽」。置きラクボックスとは後席下の収納ボックスの名称で、置きラクレイアウトとは置きラクボックスとスライドドアを組み合わせたレイアウトの名称。』
ダジャレが入ってくる。さらに・・
「いつもの私で、ラクしトコット。」(ミラトコット)
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似たパターンで「ココかわ」(ミラココア)
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「ココア」と「かわいい」を組み合わせ、略したフレーズ。
過去にはこんなダジャレもあった。
「お、パイザー。」(パイザー)
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ちなみにパイザーとは、こんなクルマだった。
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さらに過去までさかのぼり、歴代のダイハツのネーミングの最高傑作は、軽ではないが、やはりこれでないか。
「5㎡カー」(初代シャレード)
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『ボディサイズが全長3640mm、全幅1510mmで、正確には5.496㎡だったが、四捨五入して「5㎡カー」とした。』
1977年にデビュー。軽量コンパクトな2ボックスハッチバックボディに、3気筒バランスシャフトつき993c.c.で60馬力。3気筒で世界に影響を与えた、日本の傑作車の1台だ。
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ダイハツ車で個人的に印象に残る“事件”は、ダイハツ久々の1600ccクラスの自社開発セダン、アプローズの火災事件だ。
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“アプローズ”=喝采というネーミングで登場したが、後に不幸な火災事故が発生し「喝采から火災へ」と、ダイハツお得意のダジャレで返されてしまった。
ただ当時の朝日新聞のヒステリックな叩き方は、正義漢面した弱い者いじめのようで、心血注いで待望の小型車を世に送り出した、ダイハツの関係者のことを思うと、心が痛んだものだったが、今から思えば、アプローズはバブルの勢いに乗って企画された感もあり、後々のダイハツのことを考えれば、あそこで“炎上”してやめにしておいてよかったのかもしれない。朝日新聞のおかげだった?
1998年、トヨタはダイハツへの出資比率を51.2%に引き上げ、ダイハツは子会社となる。それまでのダイハツは傍から見ていると不思議な魔力?を持つ会社で、提携先のトヨタからトヨタ流クルマ作りを徹底させるべく、社長を送り込まれても、何故か“同化”させてしまって、ダイハツ流のクルマ作りを貫いてきたが、ここでこの流れは終わりとなった。
軽以外でダイハツ独自色のある車は、ストーリア(1998年)が最後であろうか。
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この辺で中締め?しておくと、ダイハツという会社の根底には、今でも“大阪文化”が根付いているのだと思う。確かにクルマの産業の ”規模” としてみたら、中部や関東勢などに比べて劣勢だったかもしれないけれど、ダイハツのネーミングの素晴らしさの中には、大阪(関西)は “文化” では劣っておらずむしろ上だ!という気概が現れているような気がします。
ちなみにダイハツの「つくつく防止」のネーミング担当者はベストカーに『「つくつく防止、突っ込みぼーし! と覚えていただければ幸いです」とマジなのかネタなのかわからないコメントをくれた』そうだ。

再びダイハツの軽の世界に戻ると、個人的に“惜しい”と感じたのは、ネイキッド(99~04年)だ。
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以下wikiより。『ネイキッド=「むき出しの状態の」、「ありのままの」を意味する言葉である。その名の通り、「むき出しの素材感」がデザインテーマとなっている。~バンパーおよびフロントグリルは外側からボルト止めされており、簡単に取り外しができるようになっている。~さらに、平板で直線的な外板パネルに深い凹状のプレスを入れた鉄板然とした意匠の4枚のドアは、アウター(外付け)ヒンジとされ、レトロな雰囲気の演出のみならず、90度近い開角度を可能とした実用性も与えられている。』
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今見ても斬新なデザインだ。同じような、遊び道具的なコンセプトのスズキのハスラーが、後に大ヒットしたことを思うと、時代が追いついていなかったのだろうか。それともあまりにもむき出し感が強すぎて、敬遠されたのだろうか。
一方、クルマ自体は斬新でなくても、ファッションとのコラボという、ネーミングがもたらす世界の新しさでヒット車となったのが、「ミラ・パルコ」だ。
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https://trafficnews.jp/post/79202「乗り物ニュース」より引用
『女性ユーザーにターゲットを絞り込み、セゾン・グループ(当時)のファッション・ビル「パルコ」とコラボレートして生まれたのが初代「ミラ」をベースとした特別仕様車、最初の「ミラ・パルコ」です。自動車メーカーとファッション・ビジネスが本格的にタイアップし、全国的なキャンペーンまで行うというのは、当時の資料によると、日本初のことだったといいます。』
いったい、どこが「パルコ」だったのかと言えば・・・
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シートが“パルコ”ということだったようだ。『その名も「パルコ・シート」です。それまでのクルマのシートにはない、洋服感覚のデザインが斬新でした。』
『この「ミラ・パルコ」、ダイハツのショールームだけでなく、全国11ヵ所のパルコでも実車を展示、販売したことで、話題になりました。「洋服買いに行くついでに、クルマも買っちゃう?」みたいな、バブルの走りのフワフワした空気感満載な企画です。本当にそこでクルマを買うのかは別として、「パルコに来るのは電車で2時間かけてバーゲンの時だけ」というような地方女子にとっては、グッとくるアピール方法でした。ちなみに、よく「やっぱり、●●●(某ファッション・ビル)よりパルコの方が店員かわいいよね」とか言っていましたが、あれも相当な思い込みですね、いま考えると。そのくらい、「パルコ」の名には威力がありました。』
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確かに、“渋谷発”をうたっている。
しかし当然ながら、ライバルのスズキも黙っていない。当時のファッションアイコンであった、小林麻美さんとのコラボ?で、
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「スズキアルト・麻美フェミナ」を生み出すのだ!
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こちらの方が回転式シートでより本格的?麻美スペシャルとも言っていたらしい。
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話がダイハツからスズキに移ったところで、自分はスズキのネーミングでは、なんといってもこれが一番好きだ。
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例によって次第に話が迷走してきたので、この辺で切り上げます!

ふだんのぼんちゃん(その34)

(背景グロ注意)
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(この写真を貼っているときぼんちゃんわきで寝ていて、何やら寝言いっている・・・。なんの夢見てるんだろう。)

④新型アクセラ(マツダ3)の、色も美しい!

④新型アクセラ(マツダ3)の、色も美しい!
どうやら自分の自動車雑誌の過去記事のストック量では、目標の50本/年の記事を書くのが無理そうなので、早くも宗旨替えして!新車を中心としたネット情報も扱うことにした。
その第一弾は、新型アクセラ(国内もマツダ3の名称で統一されるらしい)の素晴らしく美しいボディー&カラーと、ボディーカラーのあれこれについて。
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間もなく正式発売となる新型マツダ3の情報が一部公開されたが、そのボディデザイン&ボディーカラーがとても美しい。
日本のメーカーの中でも世界的にもっとも評価の高い、マツダデザインだが、新型アクセラ3はその評価をさらに高めるだろう。でも今回はボディーではなく、新色の“ポリメタルグレー”にも注目したい。この色が、マツダ3の塊感のあるソリッドなボディの美しさをさらに引き立てているのだ。(ただし一連の写真の車の、ドアミラーやホイールが黒なのはスポーティーバージョン?不明)
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ボディーカラーは、写真だけでは良さを判断できない部分もあるが、このマツダに似たような色は、以前から一部のヨーロッパの高級車にはあったと思う。たとえばこのポルシェ911とか、
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ありゃりゃ、ぜんぜん違ってたか…
それではぐっと時代をさかのぼり、クラッシック・カーの世界でも(CGの記事より、1937年ドライエ135M、コーチワークはフィゴニ&ファラシ)、これが近いか、
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しかし日本では今までなかったような色だ。最近の例で、強いて言えば、このレクサスESの色にイメージは近いか?(ちょっと濃いめだけれど。画像はモーターファンより)
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これもぜんぜん違ったか。いずれにしても、早く路上で実物の色を見たいものだ。

ところでボディーカラーについて、日本では1998年から、“オートカラー アウォード”というのが開催されている。日本カーオブザイヤーのボディーカラー版みたいなものだ。
(下は、1998~2017年までの歴代受賞車(色))
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2018年はホンダの「N-VAN」の、“ガーデングリーン メタリック”だった。
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2017年のグランプリは、ヤマハのバイク「MT-10/MT-09/MT-07」で、カラーは“ブルーイッシュグレー ソリッド”。ホイールのイエローもアクセントで効いている。
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そして2016年は「マツダ ロードスターRF」、“マシーングレー プレミアムメタリック”だった。
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過去のグランプリ受賞車(色)で、自分の好みでは2013年の「スバルXV」(今より1つ前の世代)の、“デザートカーキ”色が一番好きだった。これは授賞式の模様、
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ついでにもう1枚、
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アウトバックにも欲しい色だと思う。
オートカラー アウォード グランプリの、1998~2018年の21台の受賞会社の内訳は、トヨタ5、日産5、ホンダ3、マツダ、スズキ、VW2、スバルとヤマハが1回ずつで、比較的バラけている。ちなみに日産は同じ型式のマーチで3回も受賞している。目先を変える意味で、色を変えるしか手がなかったのだろう。弾不足の苦労がしのばれる?
ボディーカラーは重要な要素だと自分は思うが、今までそれをアピールするのは、比較的マイナーなクルマ&メーカーが多かった気がする。印象的だったのはたとえば“街の遊撃手”として颯爽とデビューした、いすゞFFジェミニの“セイシェル・ブルー”とか、
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マツダの初代アテンザの、“カナリーイエローマイカ”なんかもけっこう鮮烈だった。(画像はCG)
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一方、色に頼らずとも売れる!トヨタ車はというと、どうしても定番色(=リセールバリューのある)の、白やパール系、シルバー系を思い浮かべてしまうが、中には変わり種?のクルマもあった。たとえば「トヨタ・ヴェロッサ」のイタリアンな?赤など思い出深い。
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このヴェロッサについて、外ならぬ、トヨタのサイトのGAZOOで辛口のコメントと共に「ちょっと懐かしい迷車たち」と紹介している。引用します。
https://gazoo.com/article/meisha_natsukashi/121122.html
『トヨタのように膨大なラインナップを抱える大メーカーともなれば、なかには軽いノリで企画されたクルマがあるのではないかと思ってしまう。真偽は不明だが、2001年に登場したヴェロッサは、そんな印象を受ける1台である。成り立ちとしてはマークⅡの兄弟車であり、販売系列からいけばクレスタの後継モデルとなる。しかし、かつての“マークⅡ3兄弟”のなかでもっとも保守的だったクレスタに対して、イタリア語の「Vero(真実)」と「Rosso(赤)」からの造語を車名に冠したヴェロッサは、キャラクターをガラッと転換していた。』
『しかし、どこかランチアを思わせるエクステリアといい、アルファ・ロメオ風のインテリアといい、イタリア車のカリカチュア(戯画)のようでもあった。はっきり言ってしまえば、あまり出来のよろしくない「なんちゃってイタリアン」で、ホンモノのイタリア車を愛好する層にアピールするとは思えず、かといって一般受けするとも思えず、ターゲットがよくわからなかった。』 
大トヨタらしい、余裕のコメントである。(思わず、ビスタ店からマークⅡの兄弟車を取り上げる口実作りのため?などと穿った見方をしてしまう。そんなことはないだろうが。)

ところでここで世界にも目を向けて、国/地域別のボディーカラーの好みはどうなのだろう。自動車用塗料業界大手の「アクサルタ コーティング システムズ」というところが、2016年版世界の地域別自動車人気色調査報告書を公表している。
https://kaikore.blogspot.com/2017/03/popular-car-colors.html(グラフもコピー)
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引用すると、
『・世界全体ではホワイトが37%と昨年に続き最も人気のある色に。特にアジアでは48%と高い。
・グレーは北米、ヨーロッパ、韓国で人気が高まっている。
・グリーンのシェアが最も高い地域は南米とロシア。
・中国ではホワイトだけで57%のシェアを占めている。
・日本だけがソリッドホワイト(原色の白)よりもパールホワイト(真珠の様な艶を帯びた白色)の方を好んでいる。他の地域はソリッドホワイトの方がシェアが高い。
白は、今回で6年連続1位となっているが、それ以前はシルバーの時代が続いた。』

また人気の色が白に変わった理由の一つとして、CNETではApple社の存在があることを指摘している。iPhoneやiPadなどApple社の製品には白を基調としたものが多く、それまで家電製品に多かった白に「デジタル」や「最先端」といったイメージが加わったというのだ。
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さすがに恐ろしい影響力、ブランドの力だ。
世界的な定番色の、白、黒、シルバー、グレーはいずれも傷や汚れが目立ちにくく、飽きにくく、リセールバリューも高い実用性も評価されているようだ。
因みに自分は過去40年間で8台のクルマを乗り継いできたが、そのうち白は1台だけだった…。
ここで“巨匠”徳大寺有恒さんの一言。『リセールバリューを考えて好きでもない色のクルマに乗るなんて、俺には考えられない。』(NAVI 2010.04徳大寺有恒といくエンスー・ヒストリックカー・ツアーより。)自分もまったく同感だ。でもこう考える人は、金を残さない人なんだろうなぁ。
話をオートカラー アウォードに戻すと、意外なことに、ここ数年でもっともインパクトがあった“マツダの赤”、“ソウルレッドメタリック”が一度も選ばれてないことだ。
赤は初代、FFファミリア以来、マツダの伝統色?だ。
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果たして今年のオートカラー アウォードで、マツダ3の“ポリメタルグレー”は、栄冠に輝くであろうか。

③カーグラに掲載された自動車広告について

③カーグラに掲載された広告について
今年は50本の自動車記事をUPする!という高い?目標を掲げて、1月6日に“その②”をUPしてからはや一ヶ月が経とうとしているが、なかなかその③が書けないでいた。その言い訳だがこの間、分かったことが2つあった。
(1)そもそも文章を書くのが億劫&苦手だったことが改めて分かった!
(2)今、50年間ため込んできたバラバラ(雑誌本体はジャマなので“解体”処分済み)の自動車雑誌の記事(主にCGとNAVI)を、これから残り48本記事を“量産”するため整理中だ。ところが、当然残したものと思い込んでいた記事の多くを、実際には捨ててしまっていた。
(1)は今さらの話だが、(2)は大きな痛手だ。実はこれから“自動車その③”の記事を「カーグラに掲載された自動車広告について」というテーマで書こうと思っているのだが、かつてカーグラに連続シリーズモノで掲載されていた、スバル(当時は富士重工)の、マニアックだけれど分かりやすくイラストで解説されていたボクサーエンジンの話シリーズ(正式な広告のタイトルも忘れた)をメインに紹介しようと思っていた。しかし保存していたつもりがどうやら途中で捨ててしまったらしく、自分の頭の中には”存在“していてもさすがに”現物“がなければ、記事が書けない。それでもネットで探せばあるのではと甘く考えていたが、ざっと調べた限りでは、この一連のシリーズのスバルの広告は見当たらなかった。記憶ではたとえば、一般的には”フラット12“と言われていたフェラーリのエンジンは、厳密には180度V12であることなどを、素人にもわかりやすくイラストで解説していた。(結局、yahoo知恵袋で…(画像も、涙))
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13184795363
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考えてみればこの50年の間に、行って帰った分も含めれば6回引っ越ししており、広告は記事に比べて“下”に見た時期があったようで、ほとんど処分してしまったようだ。う~なんという取り返しのつかないことを…。
広告から話が逸れるが、スバルは飛行機のイラストのカレンダーで長年(41年も続いたらしい)定評があり、方向的には少し被るものがあった?
(画像https://car.watch.impress.co.jp/img/car/docs/726/261/html/01.jpg.html)
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それでも(かつての)スバルの優れた広告で、もう一つ紹介しようと思っていたものは辛くも保存されていた。それはシルクロードを軸として世界の遺跡を撮り続けた世界的写真家(wikiより)の並河萬里氏が、撮影取材用にレオーネ4WDを愛用していたことから生まれたコラボで、スキャナーでどれだけ表現されるか怪しいが、『サンクチュアリ・オブ・ザ・ワールド、トルコ・イスタンブール トプカプ宮殿前、永い永い旅へ。』と題した美しい写真をまずはご覧いただきたい。
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『~ここイスタンブールの、ボスポラス海峡を見下ろすアパートで、シリア行きの準備が行われている。日本から持ってきた一台のクルマも総チェック中だ。窓から見える空はあくまでも碧い。シリアの灼熱の空はどんな色をしているだろうか。』
ネットで検索したところ、『写真家 並河萬里氏(1931-2006)は、1977年から1979年の23ヶ月間イスタンブールを拠点として、特別仕様のスバル・レオーネ4WDを駆ってシルクロードを全方向に延十万キロを走破して撮影取材を敢行しました。』という記事があった。(画像もコピー。スバル系ラリーストの高岡祥郎氏を中心に改造を加えたらしい。)
https://minkara.carview.co.jp/userid/2145439/blog/41952906/
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もう一つ、『シリア・ラサファ地方 シリア砂漠の遊牧民と、遊牧民は嘲笑った。』の記事より。
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『~200頭はいるかと思われるラクダの大群と会う。遊牧民のグループが引き連れているらしい。男、女、子供、みな強烈な原色の衣装をしている。このグループは幸いにも戦闘的な民族でなかった。~ どこ迄行くのか、とグループの若者がたずねる。パルミュラと答えると、とたんに真剣な顔をしてしゃべりだした。つまり、気違い沙汰だと言うことらしい。自動車は故障する。ラクダは故障しない。砂漠の唯一の頼りはラクダだけだと言う。その親切な忠告は、なぜか私の心にしみた。しかしいま、私たちはこの車に生命を預けるしか方法はない。~』
今見ても、スバルのブランドイメージを高める、良い広告だったと思う。
またまた広告の話が逸れるが、同じような「原住民と自動車」をテーマにした構図の、全く別の記事からの写真も一枚。サファリラリーを制した日産(ダットサン)240Zとアフリカの原住民。当時のカーグラに掲載された、J.Pキャロン氏の写真です。(並河さんのより、ちょっとわざとらしいけれど?)
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確かに広告も玉石混交だが、下手な雑誌記事よりはるかに時代を表す場合もある。
スバルの広告とともに、ぜひ紹介したかったのが、ある時期のカーグラの終わりの方の“定位置”に陣取った、並行輸入業者“オートロマン”の広告だが、なんとこれもすべて捨ててしまっていた…。
以下、当時の“雰囲気”をよく伝えた、ネットのブログ「M2的な毎日」さんから引用します(画像もコピー)。
http://blog.livedoor.jp/hd1978/archives/51848221.html
『~しかし、オートロマンの広告ほど、インパクトの有った写真とコピーを備えたものは、その後は現れていないと僕は思う。オートロマンが存在していた当時、毎月1日になると、本屋さんに飛び込んで、「カー・グラフィック」誌を手に取り、クルマのレポートはそっちのけで、まず後半に載っているオートロマンの広告を読み、一番後ろに載っているミツワ自動車の広告を読み、最初の方に載っている、小林彰太郎編集長のコラムを読み、ポール・フレール氏のコラムを読んでから、テストレポートを読んでいた。~』
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三上は~した、と断じる、かなり濃いめで、危ない大人のキャラの三上祥一社長率いる“オートロマン”(前社名は日本フェリックス)は、横浜に構える“シーサイド モータース”
https://blogs.yahoo.co.jp/butoboso0217/35152322.html
とともに、スーパーカーの時代の聖地として君臨していた。
自分はスーパーカーブームより一つ前の世代だが、当時なぜ、正規代理店でなく、並行輸入業者が“聖地”だったかについて、小林彰太郎さんがカーグラで語っている。
『~70年代に入ってからも、いわゆるスーパーカーは正規輸入よりは、並行輸入の方が圧倒的に数が多かったんだけど、ありがたいことに、我々にはコレクターの方たちが協力してくださった。浮谷東次郎(1965年に事故死した伝説のレーシングドライバー)のご父君、洸次郎さんはランボルギーニがお好きで、コレクター仲間の市川人世さんという方とふたりで、競うようにしてスーパーカーを購入されていたんです。で、新しいクルマが入ると、ふたりでやってきては僕に乗ってみろって。本当にありがたい話ですね。』
『並行輸入が多かった理由?うーん、正規代理店が少なかったのもそうだけど、納期まで時間がかかったんでしょう。でも、並行輸入なら2週間で入ってくる。たとえば、SSSA(横浜のシーサイド・モーター)には実車のストックがあったし。そこが彼らの強みだった。それにホラ、ああいう方たちはガマンができない。『欲しい』ってなったら、明日にでも手に入れたい。子供と同じなんだね(笑)。SSSA、あとは田園調布のオートロマンか。~』

ブログで見つけた、「~ シーサイド物語 ~」より引用します。
http://www.castel-dino.com/president/seaside_003/main.html
『~浮谷さんとは、知らない人が多いかもしれないが、伝説のレーサーと言われた浮谷東次郎のお父さんだ。千葉県市川の裕福な家庭に育った、東次郎さんは、船橋サーキットで、数々の名勝負を演じ、将来有望なレーサーと呼ばれたが、鈴鹿サーキットで練習中に死亡した。勿論、お父さんも無類のカーマニアで、私がお会いしたのは、74年まだビル建設のために仮社屋だった倉庫兼事務所に、シルバーのマセラティボーラを、雨の中乗ってこられた時だった。今思えば、当時はまだこの手の車は、ほんの一握りの裕福なカーマニアしか、持てない時代だったのだろう。』(写真は浮谷洸次郎氏がワンオーナーで新車から愛用されたランボルギーニです。)http://castelauto.blog.fc2.com/blog-date-201305.html
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今よりもさらに、スーパーカーは別世界の乗り物だったのだ。

プロフィール

マルプーのぼんちゃん

Author:マルプーのぼんちゃん
【ぼんちゃん】
推定年齢12歳(2020年6月現在)ぐらいの、オスのマルプー犬のぼんちゃん。年より若く見える。マルプーではちょっと稀な“キレカワ系”💛 性格は、おとなしくてやさしくて人懐っこくて庶民的?でも対犬ではかなり臆病。散歩だけはたくさん(1日1~3時間ぐらい)させてもらっている。選択の余地なく、毎日おっさんの面倒をみている。
【おっさん】
推定年齢60歳+のシガナイ初老の独身オヤジ。ひょんなことからぼんちゃんと2人で暮らすことになったが、おかげさまで日々シアワセに暮らしている。

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