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ふだんのぼんちゃん(その52)

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膝の上でくつろぎ中~
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(またピンボケだった)

ふだんのぼんちゃん(その51)

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ふだんのぼんちゃんです。
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眠いなぁ~
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アングルを変えて、
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やっぱり眠いなぁ・・・
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ふだんのぼんちゃん(その50)

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ぼんちゃん流、毛布の使い方
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ふだんのぼんちゃん(その49)

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どこへ行くのかな?
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膝の上~
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ふだんのぼんちゃん(その48)

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なぜか、カバンに入るのが好き
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妙に落ち着く?

ふだんのぼんちゃん(その47)

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ぼんちゃん流タオルの使い方、その2
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その3
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ふだんのぼんちゃん(その46)

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ぼんちゃん流タオルの使い方
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ぼんちゃんお休み~
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ふだんのぼんちゃん(その45)

ぼんちゃん流、枕の使い方
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良く眠れるよ~
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ふだんのぼんちゃん(その44)

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大きさ比較
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ペロリ
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飽きちゃった

⑩ 開発責任者多田氏の語る、新型スープラ開発のインサイドストーリー

ようやく、話題を現代に戻します。
復活を遂げた新型スープラについて、その開発責任者としてドイツのBMWとのコラボという難題を無事?勤め上げた、多田哲哉氏(GAZOO Racing Company GR開発統括部 主査)のインタビュー記事が多数のメディアに掲載されている。すべてに目を通したわけではないけれど、目にしたもののどれもが率直に語られていて、興味深い内容であった。
なかでもベストカーの記事(2/26号、3/26号)で、“フェルディナント・ヤマグチの ザ・インタビュー”が、読み物として面白かったので、その話題を中心に、多田氏を通して語られている、インサイドストーリーと、そこから透けて見える今後の自動車開発の方向性についてまとめてみることにした。
ただなにぶん、ドシロウトがテキトーに想像してまとめているだけなので、誤解している部分も多々あるかと思いますがご容赦ください。
例によって引用部分は青字にしてある。(今回ほとんど青字だらけになると思います。)また引用元は文末にまとめて掲載している。興味のある方は是非直接そちらの原文を確認してください。(下記画像はモーターマガジン)
https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17190449
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ちなみに巧みな誘導で多田さんから本音を引き出した、“毒舌覆面コラムニスト”こと、フェルディナント・ヤマグチ氏は覆面姿だ。(下の写真は豊田章男社長インタビューの日経記事より。)
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https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/194452/100700082/
下の画像は86の前でポーズをとる、多田哲哉氏。
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https://response.jp/article/2014/08/13/229889.html
まずは“主役”である、多田哲哉(ただ・てつや)氏のプロフィールから(wiki等による)
いきなりトヨタに新卒で入社したわけでなく、起業家としてベンチャー企業を立ち上げ、挫折も経験したキャリアが今となって生きている。
『 Gazoo Racing Company GR開発統括部チーフエンジニア・スープラ開発責任者。1979年に名古屋大学卒業と同時にコンピューターシステムのベンチャー企業を立ち上げた後、1987年トヨタ自動車入社。入社後、ABSの電気評価やスポーツABSなどの新システム開発を担当し、1993年にはドイツでWRCラリー用のシャシー制御システム開発等に従事。1998年に製品企画本部へ異動。初代ファンカーゴ、初代bB、2代目ラウム、初代パッソ、初代ラクティス等多数の車種開発を担当。2007年、新たなスポーツモデルの企画統括に携わり、開発責任者として、スバルと共同で86(スバルBRZ)をまとめあげ、後に現職。』

トヨタ スープラについて、簡単にその歴史を。(引用;主に①)
https://business.nikkei.com/atcl/report/15/226265/032600242/
「スープラ」は今から40年前、1978年に初代(A40/A50型)が誕生した、トヨタのスポーツモデルだ。(下はA50型)
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今でこそスープラは、トヨタを代表するスポーツカーと捉えられているが、1977年に北米市場で登場した初代のセリカ・スープラ(日本名=セリカXX(ダブルエックス))は、2世代目セリカに6気筒エンジンを搭載した“GT(グランドツーリング)カー”という位置づけで、現地のトヨタディーラーから、当時、北米市場でヒットしていた日産「フェアレディZ」の対抗モデルが欲しいというリクエストに応えて開発されたモデルだった。
初代(A40/50系)はラグジュアリー・スポーツクーペの立ち位置だったが、1981年に登場した2代目スープラ(A60系)は、その立ち位置をソアラに譲り、スープラは徐々にスポーツ色を強めていく。(下はA60型)
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1986年に登場した3代目(A70系)はツーリングカーレースのみならずラリーにも参戦した。ちなみにこの世代で日本名もスープラに統一された。(下はA70型)
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1993年に登場した4代目(A80系)はトヨタスポーツカーのフラッグシップとして開発された。トヨタの元トップガンであり、豊田章男社長と共にGAZOO Racingを立ち上げたマスタードライバー・成瀬弘(故人)氏が味付けを行なったモデルで、基本性能に徹底的にこだわり、ニュルブルクリンクで鍛えたモデルとしても有名である(下はアメリカでチューンナップされたA80型。)
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しかしこのスープラも、2002年をもって生産中止となった。当時の排ガス規制の影響によるものだが、時を同じくして日産GT-R(R34)、シルビア(S15)、マツダRX-7(FD3S)など、日本のスポーツカーの多くが2002年に生産を終えている。

17年ぶりに復活させたA90スープラについて、開発責任者、多田氏共同通信などのインタビューに応じ『趣味性が高い車はカーシェアリングの時代になっても買ってもらえる」と述べ、販売に自信を示した。車の所有にこだわらない人が増える中、運転の楽しさを発信し、ファンを拡大する。
多田氏は「シェアリングが広がると、近くに止まっている車にスマートフォンをかざすだけで乗れるようになる」と述べ、車の保有台数は減少していくとの見方を示した。一方、スポーツ車は「人の愛情や思い入れが深い」とし、自分で所有するニーズは高いと強調した。』
(引用②)

1.スープラ復活の原点、成瀬弘氏と交わした豊田章男社長の“約束”
まずはスープラ復活の原点から。以下、友山氏が語る。(引用③)
下の写真は友山氏の通勤用のA80改造スープラ(600馬力だそうです。)
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『友山氏:そうですね、2007年にモリゾウ(トヨタ自動車 代表取締役社長の豊田章男氏)がニュルブルクリンク24時間耐久レースに参戦したのですが、その6年前くらいから運転訓練をしていたのです。そのとき初対面したマスタードライバーの成瀬(故・成瀬弘氏)に「俺たちは命を懸けてクルマを作っているんだ。クルマの運転もできないやつにとやかく言われたくない」と言われ、それから成瀬に運転を習うようになりました。
 その中で、ニュルブルクリンクで運転訓練するというときに(豊田社長が)成瀬から「ここで走れるクルマはトヨタでは中古のスープラしかない」と言われたとき、おそらく豊田は自分が社長になったときにスープラを復活させることを成瀬と約束したのです。2009年に豊田が社長になり、2010年6月24日に初めての株主総会を迎えたのですが、その前日、テスト車の試験中に成瀬は事故で亡くなりました。それから品質問題や東日本大震災があって、スープラ復活どころではなかった。そして2013年にスープラを復活させる契約をBMWとしました。
 それから6年かかって今日にいたるわけですが、スープラみたいなクルマを復活させるというのは、ボトムアップという意味では当時のトヨタではとてもやらなかったと思います。それはやはり社長のトップダウンで始まったプロジェクトで、「Supra is back.」を一番喜んだのは当時のマスタードライバーである成瀬だったと思います。』

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2.デトロイトモーターショーでの、スープラ発表の光景
(引用④)
『カンファレンスはまず、トヨタ自動車・豊田章男社長のビデオメッセージからスタート。ビデオの冒頭で豊田社長は、自身の運転テクニックの師匠であり、かつてトヨタのマスタードライバー=エース・テストドライバーを務めていた故・成瀬弘氏が、スポーツカー開発の聖地・ニュルブルクリンクで語った「ドイツメーカーを見てみろ。どこも開発中の新型車でニュルを走っている。それに比べ、トヨタがここで勝負できるクルマは、中古のスープラしかない」と語っていた言葉がとても鮮烈に記憶に残っていて、「いつの日か必ず、スープラを復活させたいと考えていた」と振り返った。
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そしてステージに、赤いスープラが登場。運転していたのは、なんと豊田社長本人だった。スープラから降りた豊田社長は、「このクルマはいいね。ずっと乗っていたかったよ…」と、自らにいい聞かせるように語りながら、プレゼンテーションをスタートさせた。』豊田社長の“カーガイ”としての感動的なメッセージは、下記にトヨタ自動車によるオフィシャル和訳で全文掲載されている。

https://motor-fan.jp/article/10007677
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しかし、この晴れ舞台を迎えるまでには、多田氏をはじめとする関係者の並々ならぬ苦労があったようだ。

3.BMWとのスポーツカー開発責任者となる
スバルとのコラボで苦難の末に新86を誕生させた多田氏であったが、間髪を入れずに、今度はBMWとのスポーツカー共同開発の責任者に抜擢される。実績からして当然だろう。しかし過去日本の自動車会社は、ドイツの自動車会社と提携してうまくいった試しがほとんどない、“鬼門”であった。(下記は③より引用)
『多田さんがこのモデルの開発責任者にアサインされた当時から、10年以上も途絶えていた「スープラ」の名を復活させることは決まっていたのですか?
多田:最初からそういうふうに指示を受けたわけじゃないんです。開発がスタートしたのは実は86を出した直後のことで。86を2012年に発売して、その年の5月にヨーロッパのジャーナリスト向けの試乗会をスペインでやりました。
その期間中に突然、内山田さん(内山田竹志・現トヨタ自動車会長)から電話があって、「おまえ、明日誰にも内緒でミュンヘンへ行け」と。BMWの本社にいくと◯◯さんという人が待っているから、そこでBMWと一緒にクルマが作れるか調べてこいと。
えぇ~、と思いながら、向かったんですけど、国際試乗会のあいだに突然チーフエンジニアがいなくなって、しかもどこに行ったのか誰も知らないみたいな(笑)、あとから大騒動になったと聞きました。そのときにはまだ具体的な話があったわけじゃなくて、お互いのクルマ作りやその考え方について話をして、BMWの担当もいい人でしたし、これならできるかなと感じて日本にレポートしたことがきっかけです。いざ始まってみると、そんな甘い考えで返事をするんじゃなかったってことになるんですけど(笑)。』

別のメディアにはこうも述べている。
『多田:もともとBMWのディーゼルエンジンをトヨタが買って、ヨーロッパで販売するクルマに搭載しようという企画が先にスタートしていたんです。そして、BMWとの技術提携をもっと深めるプロジェクトの一環として、トヨタとBMWでクルマを共同開発するって話が持ち上がったって感じですかね。』(引用⑤)
BMW製のディーゼルエンジンをトヨタ車向けに購入するという商談があり、最初はBMWも開発の担当者でなく“営業”が出てきて対応し、マイルドだったようだ。
『BMWも最初だけ愛想のいい人が出てきたんですよ。でも、彼は開発のエンジニアではなく営業の人間でした(笑)。』(引用⑥)

4.アメリカ市場がスープラ復活を熱望する
やはり日経ビジネスの記事がよくまとまっているので、引用を続ける。(引用③)
『トヨタとBMWが燃料電池車やスポーツカーの開発で提携を発表したのが、2011年12月のこと。そして、2012年の6月には、BMWはカーボンを使って車体を軽量化する技術、トヨタはハイブリッド技術の供与などで提携拡大を発表している。まさにこのころ、スープラに繋がる話が動き始めていたということだ。』
『企画の初期段階では、トヨタとしてスープラにするか、それともミッドシップのスポーツカーにするか複数のチョイスがあった』
という情報もある(引用⑦)。しかし86が登場すると情勢が決定的になる。やはりスープラ復活を熱望するスポーツカーの最大市場であるアメリカからの声が大きかったようだ。(以下も③より引用)
『86の登場で、スープラが欲しいという声が盛り上がる
多田:スポーツカーを作る上で、FRにするのか、ミッドシップにするのか、いろんなチョイスがありました。そうした中で86のファンからのフィードバックが一番大きくて、あれを世に出したことで世界中の眠っていたトヨタファンから声が寄せられるようになった。中でも圧倒的に多かったのがスープラの復活を期待するもので、特にアメリカのマーケットからは熱い声をいただいた。ファンミーティングにも話を聞きにいきましたけど、これはすごい世界だなと。
それから「86が戻ってきたことはうれしいけど、ちょっと物足りない」という意見も意外に多くありました。昔からの86やスープラのファンは、もうそれなりの年齢になっていて、社会的な立場や金銭的な余裕もあるけど仕事も忙しいし、チューニングばかりもしていられない。「もう少し高くてもいいから、ぽんっとつるしを買ってきて楽しめる高性能なモデルがほしい」と。新しいスープラはそういう人にぴったりなクルマだと思います。』

別の記事からも引用(引用⑧)。
『トヨタは86を世に出したことで、世界中のスポーツカーファンの情熱を呼び覚まし、それが最終的に、スープラ待望論となりました。特にアメリカ市場からの要望は高かったです。でも、次期スープラは、かつてのモデルのリバイバルではなく、現代のテクノロジーや時代に合ったクルマにしたいと考えました。その結果ぶつかったのが「スープラってどんなクルマ?」ということ。そして、いろいろと考えた結果、ふたつの結論が出ました。ひとつは、搭載するエンジンが直列6気筒であること。そしてもうひとつは、FRレイアウトであるということです。』
直列6気筒のFRであることがスープラの原点だとしている。
そのような背景から多田氏はトヨタのトップからも、以下のような要請があったという。
『しかし、トヨタの都合としては長らくスポーツカーをやめていて86でようやく量産スポーツカーを久しぶりに世に送り出して、少しファンが戻った。豊田章男社長や内山田氏は、そうしたユーザーを大切にして、トヨタのスポーツマインドが伝わるような次のスポーツカーが欲しいと多田氏にリクエストしたという。』(引用⑨)
『「BMWとクルマを共同で作れるか、それだけを打診してこい」・・・。そう言われた瞬間に「新しいスープラを作れということだな」と分かりました。なぜならその当時、直6の量産型高性能エンジンを持っているのはBMWだけ。スープラと言えば直6エンジンが伝統でした。そこから話が始まり、ずいぶんと時が経ちましたね。」』
(引用⑩)
スープラに決まれば、やはり価格帯からしても、FRのZ4との姉妹車との位置づけとなるのが自然の成り行きだろう。

5.チューニング界に轟く“2JZ伝説”
以下は余談といえば余談になるが、世界のチューニングカー業界の間では“2JZ伝説”というものがあるそうだ。下に多田氏とチューニング界のカリスマ、稲田大二郎師との会話を転記する。(引用⑪)
『稲田:ファンも直6ターボエンジン搭載の事実はうれしいだろうな。やっぱりスープラ神話を支えたのは心臓部、2JZエンジンありきでしたからね。どんなにパワーを出しても壊れない国内最強ユニット。もちろん、それは世界中のチューニングファンのあいだで共通認識ですよ。』下の写真はGarage YAWATA Supra(JZA80)。チューニング業界に一石を投じた衝撃の直列ツインターボ仕様で約780馬力!
https://clicccar.com/2018/12/05/661853/
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多田:やっぱりそうなんですね。2018年3月にジュネーブで新型スープラのコンセプトを出したじゃないですか。そして先週グッドウッドで量産型のプロトを走らせたわけです。でね、どれだけの人に言われたか。2JZは載るのかって。これは3JZなのか?って。グッドウッドでは小さい少年がボクのところにやってきて「2JZなんだろうな!」って聞いてくるくらいでした。子供がですよ!』
下は“グッドウッドフェスティバルオブスピード2018”に登場したスープラのプロトタイプ。さすが、イギリスの子供はませている。
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日本に居ると“化け物”のGTRがあるので、一般人からすると他はどうしても影が薄くなりがちだが、世界のチューニング界においては、とりわけ第4世代のスープラの存在感は大きいようだ。もちろん映画「ワイルドスピード」の影響もあるのだろう。
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『稲田:2JZは奇跡のエンジンですよ。だからこそ、みんな期待してしまうんです。』
多田氏も口も軽やかに『多田:そうですね。スープラ開発の原点は86の発想に近いものがあるんです。ベース車両は作るからあとは好きにカスタムして楽しんでくださいというスタンスですね。2JZエンジンが好きなら積めばいいし、マニュアルミッションが欲しければ市販のシーケンシャルという手もありますしね。』と大胆に語っている!(しかしアメリカでは実際に、2JZを載せたチューナーがいた!)
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https://response.jp/article/2019/02/26/319524.html
恐ろしい世界です・・・。
下は、チューニング界の名門ブリッツの、BLITZ DRAG SUPRA。パワーは推定1400馬力で0→400タイム8秒252を叩き出した!!(GTRのような、サーキット向きという世界ではなさそうです)
https://www.blitz.co.jp/racingproject/drag/drag_supra.html
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エンジンルームです。
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6.かみ合わない議論
恐ろしい世界なので話を戻して、ところがその“スープラ”について、トヨタとBMWとの間では、そのイメージするところがかみ合わず、最初の2年間ぐらいは同床異夢(多田氏にとっては悪夢!)だったらしい。(以下引用①)
『多田:まず前提として、86をどうしてスバルと一緒に作ったかというと、みなさんもよくご存知のようにスポーツカービジネスは厳しい。台数だって売れないし、汎用性の低いマニアックな部品も作らなくちゃいけない。開発費用ばかりかかってリターンは少ない。だから86とBRZは、バッチなどは変えてありますが基本的には同じモデルです。
今度のBMWとの共同開発も、最初はそういうものだと思っていたんです。』

生真面目な日本のまっとうな勤め人の常識からすればまずはコスト優先で考える。最初のイメージでは86とBRZのようなバッジエンジニアリング的に考えていて、ラグジュアリーなキドニーグリルのついたオープンカーがZ4で、その企画に相乗りする形でボディは若干違いよりスポーティなルックスだが廉価版のクローズドボディ版がスープラだというぐらいのイメージだったろうか?だがゲルマン民族はそのようなあいまいな定義を嫌うらしい。(以下引用⑰)
『社内の某役員から『BMWと一緒にコラボレーションできるか、話をして来てくれないか』と言われたことからスタートしました。当時はどんなことが始まるのか、まったく見当も付きませんでしたが、いろいろ話し合いを進めるうちに、とりあえず何かを始めてみようということになりましたが、そこから先に予想しなかった困難が待ち構えているとは、その時は夢にも思いませんでしたけれど(笑)』
“とりあえず何か始めてみよう”からスタートしたようだ!以下①より引用
『「その時はどんなクルマを作るかということはまだ決まってませんでし、逆にBMW側からは『我々とどんなクルマが作りたいのか?』と聞かれたぐらいでした」
『ところがいろいろ話をしていくと、「おまえたちの作りたいものは一体なんなんだ」と、そういう話になってきた。
なるほど、根源的なところを問われた。』

ここで別の記事(⑧)を挿入する。
『BMWとは本当に、互いの意見を出し合いました。今はようやくいろいろと分かってきましたが、BMWとトヨタとでは、まずはクルマ作りに対するアプローチからして違うんです。当初私たちは、BMWとなるべく同じクルマを作り、エンブレムとボディカラーを変えるくらいのつもりでいました。でも彼らは「互いに作りたいクルマが違うのだから、それぞれ のベストなクルマを考えよう。その上で、共通化できる部分と、そうじゃない部分とを見出していこう」といってきたのです。また、開発に投じる期間や予算など、すべて私たちが考えていたものとは違いました。“クルマの作り方”が違ったのです。』
トヨタの考えていた当初予算をオーバーしてしまったのだろうか?
結果として、日本人の常識からすれば逆の手順で、まずは両社(両モデル)がそれぞれ目指す理想のクルマを語り、そのうえで共用できる部品は共用していく、という手順になった。しかしここで開発責任者の多田氏が、スープラの目指す姿を熱く語ったところ、またまた物議をかもすこととなった!

7.新生スープラの目指すもの
多田氏は思いの丈を熱く語ったようだ。(引用①)
『多田:それで、会議の場でせっかくトヨタとBMWが組んでスポーツカーを開発するのだから、ポルシェにも負けないピュアスポーツを一緒に作りたいと言ったら、その場にしら~っとした空気が流れて。
「なに言っているんだ。俺たちは走りの性能でポルシェに勝とうなんて思ったことは一度もないし、コンフォート性能でメルセデスを凌駕しようと思ったこともない。そんなにポルシェが欲しいなら、ポルシェを買えばいい。BMWの社員でもポルシェに乗ってるメンバーはたくさんいる。でも我々のカスタマーはそれを望んではいない」って、ターゲットがものすごく明確なんですね。彼らとしては「BMWのお客様はピュアスポーツカーが欲しいわけではなくて、ラグジュアリ性とスポーツ性がバランスしたところに価値があるんだ」と、一貫して言っていて。』


8.ドイツの自動車業界の事情
BMWのZ4の立ち位置は、メルセデスのSLC及びアウディTTと、ポルシェ ボクスター/ケイマンの間の、しかもかなりアウディ、メルセデス寄りあたりのポジション狙いなのだろう。トヨタ(多田氏)の目指した、ポルシェ(ケイマン)をターゲットにした、トヨタのイメージリーダーを担う本格的なスポーツカー開発は、想定外(BMWのテリトリー外、触れてはいけない領域?)であった?そもそもBMWはベンチマークを設けない(=自身がベンチマークだからという自負がある)という情報もあるが?
それとともにこのBMW側が示した反応は、一部で囁かれている、ドイツの民族系自動車メーカーは大枠では棲み分けしているという説(早い話がカルテル”らしき”ものを結んでいるという説)を多少暗示させるものがある。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDC21H37_R20C17A7EA6000/
「VWなど独5社、90年代からカルテルか 独誌報道」(日経2017.07.21)『独誌「シュピーゲル」(電子版)は21日、フォルクスワーゲン(VW)など独自動車大手5社が1990年代からカルテルを結んでいたと報じた。対象は技術や部品調達など広範囲に及び、ディーゼル車の排ガス関連も含まれている。(中略)カルテルに加わったとされるのはVWやBMW、ダイムラー、アウディ、ポルシェの計5社。ドイツの自動車メーカーの大半を占める。90年代から200人以上の従業員が60回以上会合を重ねているという。』ボッシュも絡んでいそうな気がするが、この話題には深入りせずに話を戻し、別の記事からも引用する。(⑪)
『稲田:日本人のクルマ好きはヨーロッパ至上主義が多いです。でも、ボクが見てきたなかでそこまで優れたクルマはなかった。ゆいいつポルシェくらいですかね。
多田:ですね。多田:ボクがBMW側にポルシェを超えるスポーツカーを作ろう!って言ったら、最初笑われたんですよ。おまえはなにをバカなこと言ってんだって。ポルシェが好きならポルシェを買えって言うんですよ。ドイツってメーカー同士が仲いいんですよね。で、それぞれ住み分けしてクルマを作っているという意識がある。日本はそれぞれがライバルってかんじだから、考え方がまるで違うんですね。そういう文化の違いには戸惑いがありましたね。』

過当競争の日本とは事情が違うようだ。

9.多田氏のポルシェへの尊敬の思い
ここでまた、話は逸れるが、複数のインタビュー記事から、理想のスポーツカーとして、多田氏のポルシェに対する尊敬の念が強く感じられる。いくつか紹介しておく。(引用⑫)
『ポルシェ以外にももちろんいいクルマはたくさんあります。でも芸術品のようなものとか、それぞれの価値が違う。僕は工業製品のスポーツカーを作りたい。そういう価値で見ると圧倒的にポルシェがすごいわけです。真似をしたいとかそういうことではなくて、なにか困ったときにポルシェを調べてみると、そこに必ず答えがある。本当によく考えてあるんです。
それって、多くの人がハンドリングの良さとか、エンジンの気持ち良さとかをいいますが、そういうことではなくて。
多田:それはみなが思っていることで、そういうことだけじゃないんです。スポーツカーなんだけど、備えていなければいけない最低限の安全性とか、電子制御のあり方とは、とか、そういったことが参考になる。(中略)そんなこと疾うにお見通しだと、そういうことが多いんですね。』

別の記事からも紹介する。(引用⑬)
『--スポーツABSの開発後は、どのような開発に携われたのですか?
多田:スポーツABSの開発を終えると、今度はヨーロッパへ駐在することになりました。当時、私のいた部署から、定期的にヨーロッパへ駐在員を送っていたのです。1992年からの3年間、私はドイツ・ケルンの隣町、ケルペンにいました。あのミハエル・シューマッハーの生まれ故郷です。ニュルブルクリンクも近かったので、しょっちゅうレース観戦や走りに行っていましたね。
--駐在員としてのミッションはなんだったのでしょうか?
多田:現地では、日本から送られたいろいろなテストカーを、走りの完成度を高めるためにテストしています。(中略)
--他社のクルマとの比較試乗なども実施されたのでしょうか?
多田:もちろんです。新しいクルマがリリースされたら、必ずレンタカーを借りたり、購入したりして、ほとんどのクルマに乗っていました。当時、現地でドライブしたポルシェ「944ターボ」は、「こんなクルマ、トヨタには一生作れない」と思わせるくらい、まさに高い壁でした。なぜこんなにいいクルマが作れるのだろう、と驚かされましたね。』

下はポルシェ944
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多田氏のポルシェに対するリスペクトが、今回は駆動レイアウトこそ異なるにせよ、ポルシェを目標にした走りへと駆り立てたのだろう。

10.当初は“上から目線”
その8からの続きです。それなりの関係を築くまでの最初の2年間ぐらいのBMW側のトヨタ開発陣に対しての見下した対応について、ベストカーのフェルディナント・ヤマグチ氏のインタビューが一番深く切り込んでいる。以下転記する。興味ある方はぜひ、ベストカー(3/26、2/26号)を手にしてください。(引用⑥)
『フェル なるほど。ところで、今回の新型スープラはBMWとの協業で誕生することになりますが、BMWとのコラボは86/BRZのスバルとの時とはぜんぜん違ったのではないでしょうか。
多田 いや、そのとおり。まったく違いましたね。
フェル 共同開発に関して、スバルよりもBMWの方が、エラソーな態度でしたか?(笑)
多田 現行の86の開発が終わった時、もう二度とこういった(協業)はやりたくないと思いましたよ。
フェル えっ、そうだったのですか?でも、86の開発当時も立場的にはトヨタの方が“親”だったじゃないですか。
多田 いや、でもね、あの時も親がトヨタだからといってスバルが言うことを聞くかというとそういう問題じゃないんですよ。特にエンジニアはそうですね。だって各々が信条とするやり方があるワケじゃないですか。別に意地悪しているということではなくて、各々が「一番いい」と思ってやっていますからね。
フェル ははぁ、そういった意見の食い違いでの調整が難しかったと。
多田 それが今回のBMWとの共同開発については、そのあたりが収拾つかないまま、いつまでも行ってしまう感じでしたから。
フェル とすると、BMW側は「アナタたちはわかっていないのだから、ワタシたちの言うことを聞いてなさ~い」という感じでしたか。
多田 まぁ最初の段階では本当にそうでした。「(クルマの開発に関して)君たちに聞きたいことは何もない」というスタンスでしたね。
フェル ははあ・・・・・。
多田 「どんなモノが作りたいのか、その仕様だけ私たちに教えてくれればお望みどおりのモノを作ってあげますよ」と言われましたから。
フェル うわっ、感じ悪つ!
多田 でも、まあふつうはそう言われますよね。
フェル トヨタから学ぶことは何もないよ、と言われたのですか?
多田 ええ、ハッキリそう言われましたよ。で、「アナタたちから聞きたいのは、せいぜいコストダウンの進め方。そこには興味がある」と言われましてね。
フェル ふむう~・・・・・。
多田 彼らからすれば、トヨタが車を安く大量に作れるのは、何か秘密があるのだろうということですね。そのことに関しては、聞いてあげてもいいよという感じでした(苦笑)。
フェル 聞いてあげてもいい?うわっ、めちゃくちゃ上から目線で感じ悪すぎっ!
多田 クルマの設計や評価についてはアナタ達と相談することはないと、“けんもほろろ”な対応ぶりでした。私たちが「いえ、今回はトヨタとBMWとの共同開発ですから」と伝えると、怪訝な顔をされてしまって・・・・・(苦笑)。
≪中略≫
多田 例えば、以前にスズキがVWにこだわった提携の話がありましたよね。
フェル ありました。あの話に近かったと。
多田 スズキ側としてはもうVWに行くのがイヤになってしまう、そういった感覚ですね。それがふつうだと思いますよ。
フェル う~ん、海外メーカーと日本の自動車メーカーは上手くいったためしがほとんどないですもんね。
多田 そう、ひとつもなかったんですよ。』
≪中略≫
多田 欧州人とうまくやるなら圧倒的な主従関係でないとダメで、共同で何かをやるなんてことはあり得ません。』

ひとかたならぬ苦労をされたようだ。
他のメディアにはなかなかここまで語っていないが、小沢コージ氏もかなり迫っている。(引用⑭)
『多田 そもそもBMWは「オマエたちに聞くことは何もない」ってトーンでしたから。最初の契約、そしてプロジェクトを本当にやるまでには数々のハードルがありました。
まず最初にあったのは、こちらが86やレクサスLFA、彼らがM3やM5を持ち寄ってやった試乗会です。遅れてはいかんと1時間以上早く行ったら「機密だらけだから」とわれわれは建物の中に入れてもらえず、テストコース内のテントで待っていなさいと。
―けっこうな扱いですね。
多田 それはいいんですが、試乗会が始まったらトヨタ車は知ってるけど運転した人はほとんどいない。「生まれて初めてトヨタ車を運転した」とか「意外と普通に走るんだな」とか。そんなもんです。』
―完全に眼中になし。こっちの話を聞かないわけだ。そこをどうやって切り開いた?
多田 ひたすら説得ですよ。スープラはこうしたいと説明し続けて、できないと言うとウチのエンジニアやデザイナーを連れていって、どうすればできるんだと議論する。
―具体的にBMWに対して、どういうスポーツカーを造りたいと?
多田 ポルシェに負けないスポーツカーをと。そしたら彼らは「だったらポルシェを買収すれば?」と。しかし、ハンドリング以外にもデザイン、エンジン、インテリア、すべてに対し要求しました。』

上掲の、お互いのクルマを持ち合い乗ってみるのも、お互いのコミュニケーションをとるためのアプローチだったのだろうが、これら,BMWの示した一方的な“距離感”は、“国民性の違い”だけでなく別の、社内事情もあったように思える。

11.透けて見えるBMWの社内事情
最近出たGENROQ誌7月号を読むと、スープラ(市販バージョン)の試乗記に、今までよりさらに一歩踏み込んだ、以下のような多田氏のインタビュー記事が載っていた。(引用⑮)
『最初にBMWを訪れたのは2012年5月でした。我々は当初からスープラとZ4を共同開発したいというつもりでしたが、BMWの返事は芳しくありませんでした。Z4はピュアスポーツではないし、そもそも販売不振だったので次は考えていないとのことでした。ところが1年半ぐらいして当時の交渉相手が退社して、相手が今の開発担当役員、クラウス・フレーリッヒさんに代わった途端、トーンが一変したんです。「BMWはM1以来、スポーツカーを作ったことがない。トヨタがそうまで言うなら良いチャンスだ」という話になったのです。
目指したのはZ4でボクスター、スープラでケイマンを挟み撃ちすることです(笑)。プラットフォームの開発を一緒にやった後はチームが分かれて、別々にクルマ作りを始めました。BMWから、何をどうしろと言われることはありませんでしたし、こちらもZ4について聞くことはありませんでした。(後略)』

以下は想像だが、トヨタ側から話を持ち掛けられた当初の状況を自分なりに分析すれば、Z4の属する小型2シーターのラグジュアリーオープンカー市場規模は元々小さいうえに縮小傾向で、その中でもZ4は位置づけがあいまいで販売不振に陥っていた。
一方そのころ急速に拡大していたSUV市場向けに、BMWとしては商品ラインナップを拡充していくことが急務で、開発余力が乏しく、優先順位の低かったZ4開発まで手が回らなかった?しかし一方ではトヨタが欧州向けにBMWのディーゼルエンジンを購入するという重要な商談も進行中だったので無下にも断れずという、微妙な状況だったのではないだろうか。
https://response.jp/article/2013/12/03/212167.html
しかしBMW側の開発責任者が変わり、トヨタの提案を前向きに捉える積極派が就任した。Z4の立ち位置だが、(たぶん本音ではポルシェというよりも)メルセデス・ベンツSLCやアウディTTに対抗して市場で埋没しないためにも、さらには(4気筒バージョンで)プアマンズ ボクスターとしての新たな潜在需要も取り込むために、トヨタ提案の、ピュアなスポーツカー路線に変更するのが得策だと判断したのか。
ちなみに6シリーズクーペの後継車として先ごろ8シリーズクーペが誕生したが、こちらのターゲットは同じくポルシェの911とのことで、よりスポーティーな路線へシフトさせようとしている。しかし実際にはポルシェというよりも、メルセデスとの差別化ではないかと思われるが、先ほど、その8で述べたことと多少矛盾するが、ドイツの自動車業界は、VWを中心に大枠では協調しつつも、前線ではいわゆる“ジャーマン3”間での競争は熾烈で、BMW全体として今は、よりスポーティーなブランドイメージを打ち出していく事が重要だと感じているのでは。数という意味では本命のセダンやSUV、クーペを拡販していくためにも。
トヨタの提案に乗れば開発投資を抑えられるし、リソースの問題は、後述するが、委託生産先として想定しているマグナ・シュタイヤーに開発業務も含めまとめて委託すればよい。それにトヨタ⇔BMWならば、市場で棲み分けが可能だろう。さらに多田氏はじめトヨタ側開発陣の努力もあり両社の開発陣の間で一定の信頼関係が築かれつつあり、共同開発するための環境が整ってきた(機は熟した)と判断したのではないだろうか。
 
12.徐々に信頼関係を築いていった
上記その10、フェルディナント・ヤマグチ氏のインタビューの続きです(引用⑥)。ひたすら説得以外に、具体的にどのような策を講じたのだろうか。
『フェル なるほどなるほど。で、その後に「トヨタもけっこうやるじゃないか」とBMW側に思わせたエピソードって何かありますか?
多田 それはですね、長い長い話があるんですよ。
フェル それを2分ぐらいで短くかみ砕いてお話しいただけませんか?(笑)
多田 2分なんてとても無理、無理(笑)
≪中略≫
フェル で、その長い長い話の中でも何かトピックとして紹介できるものはありませんか?
多田 まあ、ひとつひとついろいろと開発作業を進めていく中で問題っておきますよね。それに対してさまざまな対策を講じるため、お互いディスカッションが少しずつ始まっていき、そのなかでBMW側が時折、「あれ、アナタたちもちょっとは考えていることがあるのね」みたいな空気が生まれてきたんですよ。徐々にですけどね。
フェル BMWも聞く耳を持ち始めたということでしょうか?
多田 ええ。ただ、それはこちら側の人にもよりますよ。「トヨタのなかでも誰々は信用できる」とかですね。
フェル ははあ、開発チームの十数人いる人材のなかでも違いがあったと。
多田 そうです。そういった感じで、少しずつお互いにあった距離を詰めて信頼関係を築いていった感じですね。
フェル それは人間関係を築くのとまったく一緒ですよね?
多田 そうです。ホントに一緒ですね。
フェル 共同開発でのファーストミーティングから、そういった信頼関係をBMW側と築くまでにどのくらい時間がかかりましたか?
だいたい2年くらいかかりました。
フェル そのファーストミーティングから私が直接話を聞いている今(昨年12月時点)どのくらいの月日が経っていますか。
多田 6年半ですね。最初にBMWに行ったのが2012年の5月でしたから。』

話は中断するが、別の記事(引用⑯)ではまとめとして
『多田 哲哉氏によるとトヨタとBMWの共同作業は2012年に始まり、最初の二年は「両社のデザインやエンジニアリング思想についての相違を洗い出すこと」に費やし、次の二年は「お互いが何をするかを明確にする」ために使った』との記述もある。
以下は引用⑭です。
『多田 論理的に説明できない限りは彼らは絶対認めない。それを延々とやりました。
―今回のコラボを進めるなかで何がポイントになりました?
多田 結局は個人。その人に実力があれば、ドイツ人も認めて説得に従う。肩書や学歴は一切通じません。
―海外に渡った日本のサッカー選手がゴールを奪い、認められるような?
多田 そのとおりです。そういうのが認められるとあるときからコミュニケーションの質が全然変わりました。
―パスが回ってきた?
多田 そう。1年チョイ前からやっとそんな感じに。
―計画スタートが2012年ですから4年はたってる?
多田 普通のクルマの倍以上はたってますよ。』

信頼関係を築く為には、個人の実力が伴っていなければダメなようだ。小沢コージ氏との対談からの引用(⑭)を続ける。
『―やりとりは英語?
多田 それが英語だけだと前に進まなくて。結局、母国語じゃないから必要なことしかしゃべらない。そういう会話だと背景がわからない。だから開発から1年半ぐらいたったときにドイツ生まれの日本人を常駐させた。そしたら急速に「アイツこんなこと言ってたよ」みたいなことが聞けるようになりました。』

別の記事(⑨)からも引用する。
『「これはもはや民族の違いというか、決定的な違いがあるなと感じました。考え方も当然違う。そうしたやりとりは1年くらい続きました。とてもじゃないが、どこかで終わりだろう…と思えるくらい意思疎通も難しいことだらけでした」
そうした中で、BMWと初めてお互いの作ったクルマに乗り合うイベントをBMWのテストコースで行なったのだという。
「しかし実際にBMWの方々も我々のクルマに乗って、意外に普通に走ると思ったらしく(笑)、認識は少しずつ変わりました。特に86は意外に面白いと評価してくれて、価格を伝えたら想像以上に安かったようで驚かれました。それにしても重要なのは言葉ですね。コミュニケーションは当然お互いに英語で行なっていたわけですが、ちょうど1年経った頃、私の部下にドイツで生まれた人間が配属され、彼をミュンヘンに駐在してもらうことにしたわけです。そこから状況はガラリと変わりましたね。会議だけでなく、昼食時とかにもドイツ語が喋れるとなると、いろいろとコミュニケーションが高まっていくわけです」』

お互い個人の実力を認め合うことと、周囲の環境が整い、いよいよプロジェクトが動き出したようだ。
フェルナント・ヤマグチ氏のインタビュー記事(⑥)に戻る。
『多田 でも、お互いがようやく理解し合えるようになって彼らを「さすがだ!」と思うところもいっぱい出てきました。
フェル BMWのほうを、という意味ですね。
多田 そうです。欧州のクルマ作り、なぜ彼らがあのレベルのクルマを作れるのか。それにはやっぱり理由があったんですよ。
フェル なるほど、最初に威張るだけの理由はあったと。
多田 ただし、その逆の面もいっぱいありました。詳しい内容は言えませんが、トヨタからすれば、「なんだ、こんなこともできないのか」とBMWに思わされたことも多くありましたね。
フェル ははあ・・・・。面白いですね。』

別の記事も見てみる(引用①)。
『多田さんはこれまでにもいろんな場面で、ポルシェを目標にしてきたと話されています。ではBMWをどのように説得したのでしょうか。
多田:で、僕らはとにかくピュアなスポーツカーが作りたいと。作りたいものが違うのであれば、まず互いにベストな条件を考えるのが先だと。そこから構成をもちよって、互いに使えるものを見定めようと。それはすごく新鮮な意見でしたね。
そしてピュアに走りを追求した、看板になるようなモデルの大事さを訴えつづけていると、だんだん彼らにも熱意が伝播してきて、「我々のクルマはさておき、おまえたちがそういうことをやりたいなら、本気で協力してやる」って。そこから何をどうすればいいのかっていう本質的な議論が進みはじめたんです。』
多田:最初は、「とにかくどんなクルマが欲しいのかそれだけ言え」と。おまえたちに聞くことなんか何もない。そういう時期もありました。でも日本からエンジニアをミュンヘンにつれていって打合せを重ねていくと、意外と君たちもいろいろ考えているのねって(笑)、伝わるわけです。いまは本当にとってもいい関係ができています。』

多田氏の口からは語られることはないが、BMW側もトヨタから学んでいたはずだ。トヨタもBMWも双方得るところが大きかったというところだろうか。

13.ドイツ語の話せる開発ドライバーを起用
多田氏(トヨタ側)はBMW側とさらに密にコミュニケーションをはかるため、稲田氏との会話の中でも触れているが、ドイツ語が話せるTME所属のヘルヴィッヒ・ダーネンス氏を開発ドライバーに据え、トヨタ流の走りの味付けの最終判断を行った。このことも大きかったようだ。(引用⑪)
『多田:そうですね。というか、トヨタでもそこがもっとも重要なところでした。BMWの言いなりにならず、どれだけトヨタの味を出せるか。そこで、TME(トヨタモーターヨーロッパ)にいる故・成瀬弘さん(トヨタの伝説的マスターテストドライバー)の弟子「ヘルヴィッヒ・ダーネンス」を新型スープラの開発ドライバーに起用したんです。彼はドイツ語が話せて日本人のスピリッツも理解している。BMWと直接意見をぶつけあえるし、なにより遡っていくと成瀬さんの想いがスープラにも注がれているってことも大きかった。』
別の記事からも確認しておく(引用⑰)。
『(ニュルでは)BMWと共同でやった方がいい安全面とか信頼性のテストなどはいっしょにやっていますが、基本的には、とくにハンドリングや走りに関するテストは別々にやっています。テストドライバーは、故・成瀬弘さんのお弟子さんで、TME(トヨタ モーター ヨーロッパ)のエルヒー・ダーネスにマスタードライバーを担当してもらっています。ニュル24時間でCーHRで走った経験もある人物です』
スープラに関してのBMWとの共同開発のもう一つの目的は、協業をとおして、BMW流のクルマ作りのノウハウを吸収することにあったと思われる。何より一方通行の“丸投げ”だけは避けたかったハズだ。あとで触れる外部への開発業務の委託(マグナ・シュタイヤー)も含めBMW流、製品開発の“真髄”に触れるためにはトヨタとしてはまず、お互いを認め合う関係の確立が重要であった。
それではようやく具体的に(でも例によって長くなりすぎたので手短に!)開発の手順を見ていきたい。

14.開発のスタート時点でものすごいエネルギーを注ぎ込む
多田氏はトヨタとBMWの開発過程の違いの一例として、図面を例に挙げている。(引用①)
『多田:山のようにありますが、まだあまり話しちゃいけないって言われているんですけど(苦笑)。たとえばトヨタでは設計図面を、まずラフを書いてそれをもとにテストをして、次は工場での生産の要件もいれた図面を書いて、発売するための要件を入れてみたいな段階で進めていくんですけど、彼らは我々の倍くらい書くんです。
BMWはトヨタの倍、図面を書くと?
多田:試作車やバーチャルでシュミレーションをやるための図面なども含めての数ですけど、最初から異常に購買の精度が高い。いきなり言われたのが、1台分の部品をすべて決めろと。例えばリアのコンビネーションライトで、まだデザインも決まっていない段階ですよ。そこに入る部品とその配置ぜんぶを決めて、どこがバックアップランプになるかすぐに決めろって言われて。』
多田 例えば設計で使うコンピューターシミュレーションですが、使い方の感覚が違う。
僕ら日本人はシミュレーションといっても、結局100パーセントの精度は出ないので「実際にパーツ造ったほうが早いじゃん」となりがちですが、BMWは予想が外れることを前提に造っています。農耕民族と狩猟民族の違い。農耕民族は繰り返しを恐れず、頑張って精度を上げようとしますが、狩猟民族はあるモノをある時間内で効率良く使いこなす。』
『BMWは「精度の高い試作車」を作る
まだデザインが決まっていないのに?
多田:「何を言ってるんだ? 決めるのはいいけど、デザインが決まってからじゃないと無駄になる。トヨタでは、将来やりなおしが発生しそうなことは一番嫌うし、なるべくそういうことはやらない」。そう説明しても、やっぱり要求されるんです。そこでいろいろ決めたんですけど、いまになってその理由がだんだん分かってきた。そういったことがリアライトに限らずいろんなところにある。
それってどういう意図があるものなんでしょうか?
多田:たとえば「試作車でテストしたときはけっこう性能がよかったけど、量産の工場でつくると何かが違う」とか、そういうケースってよくあるんです。でもそれが(BMWのやり方だと)限りなく少ない。
 最初は、一見無駄に思えることをやっているけど、ものすごく精度の高い試作車ができるんです。やり直しをすることがわかっていても、大事なところの部品はいきなりわざわざ型をおこして作るんです。それによって結果的な手戻りは少なくなるし、最終的な性能の予測ができるというメリットもあるんです。
そのやり方で最終的にトヨタが想定したコストと同じになるんですか?」
多田:実はそれはまだわかりません。まだ量産まで1年以上の時間が残っているので、本当にすべてがチャラになるのかは、これからの何カ月間にも関わるものですが、僕自身にとってもすごく興味深い期間になります。
コストが一緒だったら、BMWのやり方のほうがいい、ということになるんでしょうか?
多田:そう単純なことではなくて、そうなるがための会社の仕組みがぜんぜん違うんです。スバルのときはどちらかといえばトヨタ流のやり方で進めましたけど、今回はBMW流がいいのか、トヨタ流がいいのかはまだわかりません。ただ、そういうことを知るいい機会なのは間違いないですね。できるだけ一歩引いて、最初は無駄に感じたことも一度は聞いてやってみようという姿勢でやっています。』
(以上①)
別の記事も載せておく。(以下引用⑰)
『BMWのクルマづくりもたくさん勉強させていただいきましたね。とにかく手間とお金がかかる開発をしていることには驚きました。トヨタの常識からは考えられないことがたくさんありました。こんなに手間とお金をかけてしまうと儲からないんじゃないかと心配になってしまいましたが、それがそうはならないことにも驚いた。設計図などもトヨタよりもたくさんの図面を書いていて、さらにシミュレーションの造り込みもトヨタ以上のものをやっていたし、もちろん実車の造り込みとテストも凄かったです」
「デザインの決め方も随分違いましたね。BMWはどんなデザインにするかというよりは、どんなプロポーションというかパッケージングにするかということを決めるのに、とても時間をかけていることがわかりました。我々はどうしてもスケッチを重視したり、デザインを先行させがちですが、BMWはクルマのプロポーションさえ決まれば、外装デザインは自ずと決まってくる、というようなスタンスでした」』

トヨタ(多田氏)はBMW流クルマ作りを、身をもって学んだようだ。
友山氏は以上をまとめて、以下のように結論付けている。
『この6年間、本当にすごく学びました。スポーツカーに限らずクルマづくりのあるべき姿を。トヨタは企画とデザインを、BMWは設計をするという分担だと広報的には言っていますが、クルマの開発はそんなに簡単じゃない。常にお互い葛藤があって、その中でわれわれがこれぞBMWだと思ったのはクルマを作る企画段階で本当にどのようなクルマを作りたいんだ、トヨタはどういう味を出したいんだということを徹底的に詰めるんです。例えばトヨタの企画だと、大きさとか値段を書いてこの辺に年間10万台のマーケットがあるとか、そういうところから入っていくのですが、BMWはそうではない。
 どういうクルマが作りたいのかが明確になってくると、例えば86よりも短いホイールベースが必要になる、86よりも2.5倍のボディ剛性が必要になるということが出てくる。それを徹底的にシミュレーションして、いわゆるモノづくりに入る前にこういうクルマにするというのを詰めていく。今一例を言いましたが、単純にスポーツカー作りだけじゃなくクルマ作りにおけるプロセスの在り方などを大きく学んだと思います。
――開発時に大きくぶつかった点とかはありましたか?
友山氏:その辺は(新型スープラのチーフエンジニアを務めた)多田さんに聞いてみてください(笑)。やはり文化が違うので相当ぶつかったみたいですが、最初は多田は相手にしてもらえなかったと聞いています。本当に孤立していたようです。トヨタがスープラを作ると聞いたとき、多田は86の開発をしていたのですが、多田にドイツに行けと言って(BMWに)張り付いてもらいました。そういう中で、普段のトヨタのいわゆる技術部によるクルマ作りにないものを得たのは大きいですよね。』

ここまで読んでいただいた方々には薄々ご理解いただけるかと思いますが、多田氏のインタビュー記事の“相手”は、われわれ一般ド素人のカーマニア向けであると同時に(というか、それ以上に)、身内のトヨタ自動車&グループ企業&その下請け企業にお勤めの方々に向けてのものであるような気がしてならない。ただ日本の経済に占めるトヨタの存在があまりに大きいので、多かれ少なかれ結局は自分も含めみんなかぶってしまうが。そしてそのメッセージが何なのか、我々にはわからずとも、トヨタ関係の多くの方々には理解できる内容のように思える。

15.クルマの走りの方向性は、ホイールベースとトレッドの数値で8〜9割決まる
BMWとの議論の末に、スープラは理想のスポーツカーを目指すこととなった。トヨタの意をくんでピュアスポーツカーを目指すのであれば、ホイールベースとトレッド比が最重要となる。BMWはまずその値を固めてきた。(以下引用⑧)
『BMWのクルマは、ハンドリングや走りがいいと評価されていますが、なぜいいのか、その秘密は分かりません。でも、クルマ作りの関するすべてのやり方が、トヨタとは違うということは分かりました。
彼らは、開発のスタート時点で、ものすごいエネルギーを注ぎ込むのです。クルマの走りの方向性というのは、ホイールベースとトレッドの数値で8〜9割決まります。これまであれこれ考え、やってきましたが、純粋に走る、曲がる、止まるを左右するそれらの黄金比をしっかり決めて、それを軸に、エンジンなどのメカをレイアウトにしていく。そんな基本的なことをきちんとやるのが肝心だということに、今回、立ち返れたと思います。』

別の記事からも引用(⑲)。
『豊田社長の思いも「ピュアスポーツカーを作りたい、でした」と多田氏。車体をコンパクトにし、ホイールベースとトレッドの比率も“黄金比”といわれる1.6あたりに落ち着かせた。車体を短くすることで俊敏な運動性能を実現する。ポルシェよりさらによく曲がりますよ、と多田氏は嬉しそうに言う。』
しかしこの値を理想の“黄金比”に落ち着かせるためには、従来のスープラの2+2路線から、2シーター路線に切り替わることを意味する。

16.2シーターのピュアなスポーツカー路線に
以下①より引用。
『ビジネスとしては、4シーターにしたほうが成立させやすいはずなのに、あえて2シーターを選んだと。
多田:なぜ2シーターにしたのか。BMWって、一般的に走りがいいと言われているメーカーで、たとえば特別なサスペンション形式や、評価の仕方があるとか、とてつもない開発ドライバーがいるとか、何かその鍵となる秘密があるはずだと思っていました。役員にもよく聞かれましたけど、一緒に開発をやってわかってきたのが、そんな単純なことだけでクルマはよくなったりしないんじゃないか、ということです。
たしかに我々も、BMW流の秘密のレシピがあるんじゃないかと思ってました。
多田:先程、彼らは図面の段階からすごくエネルギーを使うと言いましたが、分かったのは、クルマの走りなんてものは、ホイールベースとトレッドを決めた瞬間にほぼ8割9割は素性が決まってしまうということです。』
『「基本に立ち返ることができる会社」が、BMWの強み
多田:だけど、そんなに大事な要件であるホイールベースを決めるときに、自分たちを振り返ってみると、リア席もいるな、ガソリンタンクをどこに置くんだとか、じゃあこんな寸法にしかできないなって、そうやって決めてきた。少なくともピュアスポーツを作ろうというときに、それは大間違いだと。とにかく純粋に、走りのための黄金比、ホイールベースとトレッドを先にきめて、そこからパッケージングしていこうと。だから2シーターで、ホイールベースは86よりも短いんです。(*86のホイールベースは2570mm、今回のコンセプトカーの公表値は2470mm)。それを先に決めて、重量配分的にバランスのいいシートの配置を決めて、とやるわけです。
要はスポーツカーの基本の“キ”をしっかりやると
多田:まさにそうです。そこに立ち返ればクルマの動きはまったく違うものになる。そして何よりも「基本に立ち返って考えられるような会社の仕組み」になっていることが大きな要素で、飛び道具があっていきなりBMWができるわけじゃないということなんです。』
(以上①)
86が2+2だったので、スープラは2シーターで割り切ることができたとの記述もあった。しかしBMW側の視点からも、長短2種類のホイールベースを用意する必要がなくなり、この決断は有利に働いただろう。
その一方で、BMW側としても、ピュアスポーツカーへのこだわりを持つトヨタからの要望を受け入れる形で、新型Z4の大幅なワイドトレッド化(旧型比で全長を85mm延長したにもかかわらずホイールベースは26mm短縮、それに対して全幅を75mmも広げ、トレッドはフロントが98mm、リアが57mm拡大=ボクスターをしのぐホイールベース/トレッド比を実現)を決断したという。BMW側からしても、ハンドリング性能の向上=スポーツカーへの特化=商品力UPへとつながる話だ。
ちなみに「Z4の仕様に合わせ、スープラではこの部分の設計を変更してくれ」といったリクエストは、一度もなかったという。
「トヨタの開発陣は、「スポーツカーとして究極のハンドリング性能を達成するため、『ホイールベース』(前輪と後輪の間の幅)、『トレッド』(左右タイヤの間の幅)、『重心高』の3つの要素を重要視して開発初期のパッケージ検討を進めた」と説明する。
そこで次の話題は“重心高”となる。

17.86を上回る低重心
以下⑳より引用。『新型スープラでこだわったのは、「とにかく低重心」だと多田氏はいう。86のときも水平対向エンジンを使ったそのレイアウトから「低い低重心にこだわった」といっていた多田氏だが、新型スープラではその86よりも低重心に作り上げたとのこと。
 86のときは元々低重心設計となる水平対向エンジンを、通常のスバル車のレイアウトより低く配置。エキゾーストマニホールドを偏平とし、オイルパンの形状も工夫することで460mmという低重心を実現していた。そのため4WDに発展できない設計となっていたが、FRスポーツカーの復権を目指して作られていたので、ある意味とてもピュアな作りとなっていた。
 新型スープラでは、その86を超える低重心を直6エンジン搭載車で実現することに注力したという。ご存じのように直6エンジンは、水平対向と比べ高い位置にカムシャフトなどの動弁系がある。原理的に低重心に不利な形状なのだが、86を超えるとことに成功したという。
 そのポイントとなったのは、エンジンではなくトランスミッション。「エンジンをドライサンプ化して軽くしたのでは?という人もいるが、それではそんなに低重心にならない」(多田氏)とのことで、トランスミッションを工夫することで、86を超える低重心を実現している。
 もちろんボディまわりも低重心に配慮して設計。低重心には不利なクローズドボディでありながら、グラム単位で低重心に配慮したのだという。』

その他、重心を低くするために、路面と車体のクリアランスが小さい箇所があり、トヨタの社内基準ではNGの箇所もあるそうだ。
ただ多田氏は、86の反省?を込めて、以下のようにも述べている(引用㉑)。
『86をやって思い知らされたことは、ディメンションや重心高などの基本諸元を本当に考えて最初に決めないと、後からのチューニングではどうにもならないところがあるということでした。パッケージレイアウトを超えることはできません』
実は水平対向エンジンは、確かにエンジン単体では低重心だが、クランクセンターは直4エンジンより高い位置に来てしまい、現状のスバルエンジンではクルマ全体として低重心にするのが設計上難しいとも言われている。まして86を開発した時代はトヨタもスバルも業績が苦しい時代で、なるべくコストをかけず、既存の流用品を使い完成させたと推測される。
多田氏(もちろんスバル側も)としても思う所があったのでは。その後悔もスープラに込めたのであろう。
以下、カーセンサーの「低重心が売りのはずの水平対向エンジンが……」より。
https://www.carsensor.net/contents/editor/category_849/_32396.html
『4WDの設定がないFR方式の86/BRZでは、エンジンを運転席方向に追いやったレイアウトが用いられているが、その結果としてエンジンルームの横幅ギリギリにエンジンを積むことになった。構造を真横から見ると、エンジンは後ろ下がりで斜めに積まれている。これは、排気系レイアウトやステアリングラックの配置を考慮したためだ。
後ろ下がり、つまり前が上がっているということは「水平対向は低重心」という宣伝文句と矛盾する。実は、水平対向エンジンを使い続けることで、様々な難題が発生しているものの、技術陣の知恵とアイデアでなんとか切り抜けているのが現状なのだ。』

su20.png
同じくカーセンサーより(上の画像もコピー)『86/BRZのコンポーネンツを見ると、エンジンが後ろ下がりに設計されているのがわかる。ステアリング系など他のコンポーネンツと干渉しないよう考慮された結果だ。しかし、重心から遠くなるに連れて構造物が高くなるのは、本来、運動性能を重視すると好ましくない』
次は重量配分です。

18.50:50の重量配分にこだわる
以下㉒より引用。『GRスープラは正確な50:50という重量配分にすごくこだわっています。クルマの構造上、ホイールベースをすごく短くし、50:50の前後重量配分を実現するのはそう簡単なことではありません。
もちろん、最初の基本設計の段階で50:50になるように設計をしているのですが、開発をしていく途中で実はどんどんフロントに重量が偏っていきました。もちろん、スポーツカーは軽さが命じゃないですか。
一生懸命軽量化をやっていくと、クルマはどうしても後ろの方ばかり軽くなります。
実はフロントには軽量化する余地が少ないんですよね。だからいろいろな開発が進み、生産の準備も進んだ後、発売の1年ぐらい前に設計の大変更を行い、エンジンを初期の設計値から52mmぐらい下げました。』

この提案はBMW側の方から出されたようだ。以下⑰より引用。
『BMWのFRに対するこだわり、重量配分に対するこだわりには、いろいろと驚かされました。スポーツカーだから軽くしたいということはあるんですが、FRの場合、フロントを軽くすることが実は難しかったりする。私は少しぐらいフロントが重いのもしょうがないと思っていましたが、BMWはエンジンの搭載位置を下げようと提案してきた。かなり開発が進んだ段階だったのでビックリしましたが、実際にそれを実現したのには驚きましたね…』
別の記事(①)から引用。実は重量配分に対してのこだわりは、BMW側の方がさらに強かったようだ。
『ともすれば、とんでもない提案が出て来るんです。実はね、エンジンの搭載位置が動いたんです。クルマって徹底的に軽量化すると、後ろが軽くなるんです。FRは特にそうで、前を軽くする要素はあまりない。進めていくとちょっとバランスがフロント寄りだな、と、あるときはたと気づいたわけです。
 そしたら彼らは、「エンジンをもっと下げればいいじゃん」。ええ~って、そんなことできるわけがない。我々の常識ではありえない。生産現場の準備をしたあとで生産開始まで残された時間はこれだけしかないし、これをかえたら、あれもこれもやり直しだと。「でも、そうしたいんだろ、必要ならやればいい」と』

一番大変なのは、生産を請け負うマグナ・シュタイヤーなのでしょうが!
なお実際に「前後重量配分50:50を実現しているのは4気筒。6気筒はフロントがやや重い」そうだ。「その重量配分の違いにより、4気筒はより動きが軽快。下りの峠道なら4気筒のほうが楽しい」とのこと。

19.ボディ剛性
以下㉒より引用。『このクルマはすごくボディ剛性が高い。具体的にどれぐらい高いかというとカーボンでできたボディのレクサスLFAより高い。その理由は何なのか?
多田 / GRスープラはカーボンを一切使っていません。多田 / GRスープラはカーボンを一切使っていません。鉄とアルミだけです。(注;driver誌7月号によると、ボディ外販はルーフ以外ほぼアルミとのこと)
カーボンを使うと当然クルマの値段が高くなり、たくさんの方に乗っていただけないということが一番の理由です。それにも関わらず剛性が非常に高いのは、実はとってもシンプルな理由なのです。
このクルマはオープンボディのZ4とプラットフォームを共通して新しく設計しました。クルマの下側、この絵で見るとボディのフラットな底の面で、剛性をすべて受け持ち、走れるようにしたのですが、それにプラスして、GRスープラにはその上に屋根がついています。
その分、剛性がとてつもなく高くなりましたということなのです。
山内氏 / 幅広いサイドシルも特徴ですよね。あとでみなさん、ドアを開けて確認してもらえればいいんですけど、ちょっと常識外れなサイドシルがついています。
多田 / サイドシルというのはシートから降りる時のボディ幅のことを言っているのですが、乗り降りはとってもしにくいです。
山内氏 / でも、ボディ剛性の高さって、サーキットを走らせなくても、ちょっとした交差点を曲がって、ステアリングをきっただけでもその違いがわかりますから重要ですよね。
多田 / その通りなんですよ。
あのGRスープラの特性を理解するために、スピードを出す必要はなくて、本当にみなさんがコーヒーを一杯買いに行くような、そんなスピードで走ってもらえれば、ボディ剛性の高さを十分に感じてもらえると思います。』

オープンボディのZ4の車体剛性を落とさずにそれに+して屋根部分を取り付けさらに剛性をあげたという理屈のようだ。ちなみに98比×2.5倍とのことで、ボディ剛性には絶対の自信があるようだ。
さてさて、その他「e-Motorsports」「空力」「エンジン」「レース」「アフターマーケットへの配慮」「音(サウンド)」「AT/MT」・・・・それぞれ興味深いがきりがなくなるので割愛するが、実走行試験について、驚愕の事実があったので、触れておきたい。

20.一般道で鍛えあげた走り
以下⑫より引用。
『ところで実車の開発拠点は日本ではなく、ドイツなのでしょうか?
多田:メインの実験場はフランスにあります。もとはミシュランのテストコースをBMWが買い取ったもので、そこを拠点にして開発を進めています。ただ特徴的なのは、最初の試験車ができたときから、いきなり一般道を走って煮詰めていくことです。定量データはテストコースでとって、もちろんサーキットも走りますけど、メインの開発はヨーロッパの一般道で、フランスをはじめイタリア、ドイツ、昨年はアメリカでも随分テストをやりました。今年から日本でも本格的にテストをはじめます。
やはり実車開発はリアルワールドがいいということでしょうか? 日本では規制が厳しく、公道でのテストは難しいという話もよく耳にします。
多田:テストコースでもいろんな道を再現してはいますけど、どんなに路面の種類を揃えたって一般道にかなうわけがありません。現実にはありとあらゆる条件があるわけです。欧州では一般道でのテストは日常的なことですから、ごくごくあたり前のことと捉えられていて、我々も欧州メーカーのクルマに肩を並べようと思うとそこは避けて通れない。でも、日本は法規制が厳しいため公道でのテストが難しい。
一般道でたくさんテストをやりたいとなると海外に出て行くことになって、どうしても開発の時間的な遅れなども生じます。日本だけで開発するとなるとテストコースをメインに、最後に少しだけ公道テストをして終わりということが多い。今回はメインの実験場がフランスですから、そういう意味ではやりやすかったですね。』

以下は㉓より(画像も)引用。
『一般道は、路面のバリエーションが圧倒的に多いんです。今回はアンジュレーションが複雑で、路面にも種類があるような道を選んで、そこを延々と走ってクルマを熟成したんです。フラットなサーキットみたいな所は、ボディをしっかり作って、あとはタイヤを選べば、どんなクルマでもそれなりに走るんです。でも路面が荒れていたりアンジュレーションが複雑だと、インプットをうまくいなしながら、いつもタイヤが路面にくっついて、しっかり路面の手応えをステアリングで感じながら走れるようにするのは難しい。そういう性能の熟成は、もちろん簡単ではなかったんですけど、(おかげで)いいところに来たかなと思います。」
su21.png
公道テストは日本では様々な事情でさほど一般的ではなく、イメージも湧きにくい。正直、筆者自身もたとえば箱根のワインディングロードのような所を、それなりのペースで飛ばすくらいで・・・と想像していたのだが、実際にテストルートを訪れ、開発のメインドライバーを務めたTME(トヨタ・モーター・ヨーロッパ)のテストドライバー、へルフィ・ダーネンス氏の助手席を体験すると一瞬で目が覚めた。
su22.png
超ハイスピードで操るテストドライバー
道の起伏、路面の荒れ具合は半端なものではなく、またバリエーションに富んでいるし、コーナーは大小様々。道は狭くブラインドコーナーも多いのに路肩に余裕はほとんど無く、しかも対向車だって居る。そんな中をダーネンス氏駆るGRスープラは、とんでもないスピードで駆け抜けるのだ。
いくら何でも、これは・・・と言いかけたが、考えてみれば前方はるか遠くに居るクルマはなかなか距離が近くならない。つまり同じようなペースで飛ばしているのだ。すべてのクルマがそうではないが、実際に普通のドライバーが高い速度域でそこを走らせているわけで、決して非現実的なことをやらかしているわけではなさそうである。
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「最初は日本から来たテストドライバーも全然ついていけなかったですよ。しかもね、そうやって走らせているのに追い抜いてくる一般のドライバーだって居るんですよ!」
ヨーロッパで戦えるクルマを作るには、道自体もそうだがペースもまた日本で想像するのとは圧倒的に異なる領域を見なければならない。それが公道を主な舞台とした理由だ。
「それに一般の方が走るのは、サーキットなんて実は一瞬ですよね。大半が一般道を走るわけで、そのステージでいかに気持ち良く楽しくクルマと対話しながら走れるか。それがスポーツカーの一番大事なところだと思うんですよ」
GRスープラのボディ剛性はあのCFRP製ボディを使っていたレクサスLFAをも凌ぐレベルにあるということがすでに明らかにされている。実は、それもこうして一般道で開発を進めていくうちに到達した領域だという。
「シミュレーションでは、86の5割増しくらいの剛性で十分だと思っていたんですが、実際に荒れた道で走ると、フィーリング上、FR車の乗り味を決めるリアのトラクションがうまく出ないんですよね。それでドライバーの感覚でどんどん熟成して、最終的にそこまで来たんですね」
実際、ダーネンス氏の運転スタイルを見るとステアリング入力は割りと速く、大きめ。すぐにリアタイヤの横力を引き出すような走りだったから、この方向はなるほど納得である。
この驚異的なボディ剛性のキーとなっているのが、極太のサイドシル(ロッカー)だ。当然、これは乗降性とバーターで、トヨタ基準では本来通らない太さだという。
「走りだけを純粋に追求すると、それでは足りないんです。ポルシェも当然広いんですけど、それでも足りないとなって、スーパーカーの世界に限りなく近い幅になっています。」
こうして車体の低い部分で剛性を稼ぐ構造は、同時に重心高の低下にも繋がっている。まさに一石二鳥である。』
(以上㉓より)
BMWとの協業で、トヨタ基準から逸脱できたからでこその走りの実現だったようだ。そして試験車両を操るBMWの実験ドライバーについて、多田氏は驚愕の事実を明らかにしている。(以下引用⑥)
『多田 結局、会社のポリシーとか開発体制の違いとかいろいろありますけれど、最後の最後は国民性に行きつくものだと思いました。
フェル それはどういうことでしょうか?
多田 そう考えないと理解できないんですよ。欧州人と日本人の最も大きな違いは、「自己責任」についてです。
フェル 自己責任?それはドライバーですか、それともエンジニアですか?
どちらもですね。そこをこちらがあらかじめ理解しておかないと、彼らの考え方はわからないんです。
フェル 例えば、どのようなことでしょう?
多田 彼らはほとんどが一般道でテストします。で、一般道だからふつうに走って評価しているのかと思えばとんでもなくて、テストコースでもなかなかできないような、ほとんど限界走行の連続なんですよ。
フェル ええつ、そうなんですか?
多田 ええ、最初に彼らのテストに同行したときのショックたるや、卒倒しそうになりましたから。
フェル 借り切ったクローズドコースでの話じゃないんですよね?
多田 ホントにふつうの一般道での話です。なんせ、とてつもないスピードでそこを走っていきますから。で、前にクルマが走っていれば、そこがブラインドコーナーであろうと抜いていきますし。 
フェル 想像もできません。
多田 でしょう?でも、それが全く無謀ではないんですよ。当然、事故なんかも一度も起こしていませんからね。こちらがブラインドコーナーだと思っても、彼らにしてみれば見えているというんだから。でも、それを真似してやろうとすると対向車が来て冷や汗をかくんです。
フェル なるほど。
多田 で、ウチの開発のトップドライバーを連れて行ってもBMW側の隊列についていくことができなかったんですよね。もう評価以前に、BMW側のドライバーたちが速すぎて。』

・・・話が凄すぎて、思わず絶句するしかない。

21.理想の走りを実現
そして苦難の末に完成したクルマの出来について、多田氏は以下のように自信を示している。(以下⑫より引用)
『多田:限りなく妥協のない開発ができた、と思っています。普段使いにリラックスして乗っても楽しい。そしていざというときにはスイッチが切り替わるスポーツカーにしたいと思っています。』
以下は㉓より引用。
『「よく言う『ドライバーの意のままに走る』というのは、ステアリングを切るとしっかり曲がって、トラクションかけたいときにちゃんとかかる、止まるという当たり前のことなんだけど、当たり前のことがなかなか難しいんですよね。そういうことを、ライバルを研究しながら、更にその先を目指して作ってきたんです。色々な路面入力のある、色々なアールのコーナーで、ターンインから脱出までいかにニュートラルステアを保って、いかにクルマが暴れないように路面に吸い付いて走るかを、こういう一般道で煮詰めたことで、想定されるありとあらゆるシチュエーションで、いわゆるニュートラルステアがキープできるクルマになったと思います。まさにボディスーツを着て走ってるみたいな感じを、皆さんに味わってもらえると思います」』

さてほとんどペタペタと貼り付けただけで、終わりにしてしまうのも何なので、最後に多少まとめぐらいしてから終わりにしたい。

22.まとめ トヨタは身をもって、BMW流の自動車開発手法を学んだ
それでは自分なりに簡単にまとめて終わりにしたい。今まで見てきたように、スープラは豊田章男社長の強い思いで誕生したスポーツカーであることは明らかで、その意義についてはすでに多くのメディアで語られているのでここでは割愛する。
もう1つ重要なことは、今回トヨタがBMWと共同開発を行う目的の一つに、BMW流の製品開発手法を学ぶこともあったはずだ。
ご存知のようにジャーマン3同士の戦いの末に、3社とも隙間なく商品をそろえた結果、BMWも現在は膨大な車種を抱えており、そのため製品企画は社内で行うが、実際の開発業務は外部委託するケースが多いと言われている。アウトソーシング自体はトヨタ、ホンダはじめ国内外のどの会社でも行っているふつうの事だが、BMWの場合、その製品はどれもがBMWブランドに相応しいクオリティが保たれていて、日本の会社によくありがちな“丸投げ感”はけっしてない。
今回トヨタがその秘訣?を、多田氏を通してBMWから身をもって学んだことは、友山氏の「単純にスポーツカー作りだけじゃなくクルマ作りにおけるプロセスの在り方などを大きく学んだ」という言葉からしても間違いないと思われる。
そしてスープラとZ4の生産を受け持つのは今回BMWでなく、マグナ・シュタイヤーだ。同社は受託生産とともに、受託開発も得意としている。BMWでも実績のある会社だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%A2
ここでスープラ開発の大きな流れを、多田氏と友山氏の言葉を借り“意訳”すれば、
「最初にBMWを訪れたのは2012年5月でした。(豊田社長の意を受けて)我々は当初からスープラとZ4を共同開発したいというつもりでしたが、BMWの返事は芳しくありませんでした。Z4はピュアスポーツではないし、そもそも販売不振だったので次は考えていないとのことでした。」
「ところが1年半ぐらいして当時の交渉相手が退社して、相手が今の開発担当役員、クラウス・フレーリッヒさんに代わった途端、トーンが一変した。」
開発リソースが不足していたBMW側は、トータルのコストを考慮して、マグナ・シュタイヤーに生産&開発の実務を請け負わすことを提案、トヨタも了承する。
その後は開発が急ピッチで進み、「開発のスタート時点で、ものすごいエネルギーを注ぎ込み」、「徹底的にシミュレーションして、いわゆるモノづくりに入る前にこういうクルマにするというのを詰めて」いき、
スポーツカー造りの骨格となる各種ディメンジョンを決定しレイアウトし、「まだデザインが決まってない、最初の段階からわざわざ型をおこしてものすごく精度の高い試作車を作り、最終的な性能の予測まで行い」、
基本的なプラットフォームの開発をBMWとトヨタ中心で、ある段階からはマグナ・シュタイヤーの協力も得て完了させた。
その後「プラットフォームの開発を一緒にやった後はチームが分かれて、
別々にクルマ作りを」生産要件も含め各々が委託先のマグナ・シュタイヤーを中心に開発業務を行なっていった。
もちろんトヨタとBMWもマグナ・シュタイヤーを交えて「要所要所で情報交換をして、必要な部分はお互いに協力し合った。
外装のデザインはもちろんですが、操安性の味付けやパワートレーンのチューニングなどはそれぞれの目指すところで(マグナ・シュタイヤーとともに開発を)進めていった。」
というあたりが真相であろうか?マグナ・シュタイヤーがどの時点から開発業務にかかわったのか、不明です。
参考情報として、外紙の情報を元にした下記をコピーしておきます。(㉔)
『Top Gearが「BMW Z4とトヨタ・スープラのデザインが全く異なる理由」について紹介。
これはBMWのデザイン責任者、エイドリアン・ファン・ホーイドンク氏へのインタビューに基づくもので、同氏によるとBMWとトヨタとのデザインについてのミーティングは「一度で終わった」と語った模様。
ただしこれは「喧嘩別れ」ではなく「お互いを尊重した結果」とのことで、「我々はドイツ人、彼らは日本人だ。だが、我々はすぐに理解し合った。Aピラーの位置や燃料タンクの位置を決め、おおまかなプロポーションを決め、そこからは独自の作業に移った」と述べています。
やはり共同開発に苦労はつきもの
新型BMW Z4と新型トヨタ・スープラとはプラットフォーム、エンジン、トランスミッションを共有しますが、両社とも声高に「アッチとは違う」とこれまでにも主張しています。
BMWはスープラよりも優れるハンドリングを強調し、トヨタ側はスープラがZ4とは異なりピュアスポーツであると述べているわけですね。
トヨタ側によると新型スープラの開発開始は2012年で、その頃にトヨタのスポーツ車両統括責任部長、多田哲哉氏が本社の指示にてドイツへ飛び、BMWとの共同開発の道を探ることに。
その後2014年に大まかな仕様を決めた後は「お互いの道を歩み始めた」としており、ここはBMWのコメントと一致する部分ですが、トヨタは新型車の開発には「ベンチマーク」を定めるのが常で、しかしBMWはベンチマークを設定しないなど大きな相違があって、その部分はずいぶん苦労したようですね。
新型スープラ開発時。トヨタ「ポルシェに勝てるクルマを作ろうぜ!」BMW「ああそう・・・」
そしてトヨタは「新型スープラの開発のほとんどは日本で行った」としているものの、実際のところは謎。
製造はオーストリアのマグナシュタイヤーで行うことになりますが、マグナシュタイヤーは単なる製造工場ではなく、「車両開発」についてもノウハウがあって、昔からメルセデス・ベンツGクラスを製造していたり、メルセデス・ベンツの4WDシステム「4MATIC」を開発したのもマグナシュタイヤー。
よって新型BMW Z4、トヨタ・スープラについてもその開発の多くをマグナ・シュタイヤーで行ったのではないかと考えられ、その理由としては「コスト」。
そもそもBMW、トヨタとも単独でZ4やスープラを開発・製造したのではワリにあわないということで「共同開発」に踏み切ったことになりますが、両社が個別に開発したものを、自社ではなくヨソで作るのは返ってコストがかかると考えられるため(単純に材料や製造コストは下がるかもしれないが、開発や調整にかかる人的コストは大きい)。
さらに、実際に「別々に開発された」としながらも、度々新型BMW Z4と新型トヨタ・スープラがともにテストされている風景が見られ、やはり「同時開発」、しかもマグナシュタイヤーが開発まで請け負った、と考えるのが自然かもしれません。』

しかし、BMW流儀でいえば、実際には社外のどこが受託開発しようが、入り口(製品企画)と出口(実走行での評価)は自分たちできっちりと抑え、完成したクルマ(Z4)はBMWというブランドのクォリティーを保証する出来栄えになっているのだから問題なしという事なのだろう。
同様にトヨタもBMWの上質なシルキーシックス&コンポーネンツを手に入れた上に、多田氏らが粘った末に!BMW流の製品開発手法を身をもって学び、素晴らしいピュアスポーツカーのスープラを手にすることができたのだから。文句ない結果だった。

ただ個人的に1点だけ、新型スープラで非常に残念に思ったのは、そのボディデザインだ。確かに最初目にした時よりも見慣れてきたせいなのか、特に黄色のスープラは、これはこれでかっこいいかもと思うようになってきたが、でももう少し何とかならなかったのか。
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BMWはキドニーグリル(=豚っ鼻)をつけて自己主張するわけで、同クラスのメルセデス・ベンツSLCもアウディTTも同様に自らを縛るデザイン上の制約がある。ただトヨタにはその制約がないので(レクサスではないので)自由にカッコイイくるまをデザインできた。たとえば新型スープラが、世界的にも高い評価を受けているマツダのデザインレベルの、ロードスター級の美しいクルマでデビューしたならば、メルセデスにとってもアウディにとっても、そしてBMWやさらにはポルシェですらも、脅威以外何物でもなかったに違いない。結果的にトヨタが狙ったFRのプアマンズ ケイマン/ボクスターの潜在的な市場を、より多く取り込めたのではなかっただろうか。あとでタルガトップのバージョンでも出せばいうことない。
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新型スープラのデザインのベースとなった、トヨタのカリフォルニアのデザイン部門、CALTY(キャルティ)が提案したFT-1のデザインがなまじ良かったので、これに引っ張られすぎた?
上記㉔の記事によれば、「BMWとトヨタとのデザインについてのミーティングは「一度で終わった」とのこと。きっとBMWはその時の感触から、Z4とスープラが市場で喰い合いにならないと安心した?BMWはトヨタに、スポーツカーとは、走りの質とともに、“美しく官能的な大人の世界”の演出であるという肝の部分までは伝授しなかった?(そこは協業の範囲外だった!下はZ4)
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個人的な希望を言えば、多田氏には今後、稲田氏(オプション)系の走り屋(チューニング業界)の世界に+して、自動車評論家で言えばぜひ、清水章一氏系の世界(スポーツカーに美を求める)まで枠を広げていっていただきたい!

最後の最後に、スープラとは直接関係ないけれど、最近自動車雑誌に出ていた記事でおもしろかったものを1つ、のせておく。
自動車雑誌“GENROQ”7月号に載っていた清水和夫氏と渡辺敏史氏の対談(ちなみにマスター<清水さん)>と馴染み客<渡辺さん>という設定になっている)の、「マスター、トヨタがティア2になるってどういう意味ですか?」より以下抜粋させていただく。興味のある方は本誌を購入してください。
『(前略)マスター 自動車メーカーが自分のところで開発した技術を、自分だけで使うっていう投資コストが限界を迎えたんだよ。
敏史 トヨタにしても今後システムインテグレーターに徹して、他社に対してアッセンブルしてあげることも厭わないということですね。
マスター どうもそういうことでもないらしい。なぜならそれだとやっぱり工数があまり減らないから。手離れ良くするためにあえてティア2になるんですよって先進技術やっている寺師さんが言っていた。だからトヨタがデンソーにユニット部品を売って、デンソーがシステム連携してそれを他のOEMに売るんだって。
敏史 でもトヨタはああいう技術をすり合わせで適合させてきましたよね。デンソーにはそれができないんじゃないですか。
マスター そのとおり。だからデンソーがティア1だとしても、すりあわせできる人材がいないですよね?って寺師さんに聞いたら、「AIがやりますから」っていうんだ。
敏史 ええ~、AIでモデルベース開発ですか。すごいですですね。それって。
マスター これまでマツダや日産とのコラボ(注;THSⅡについて)の場合、工数が多すぎてトヨタはむしろ大変だった。今回は部品供給のみで、自動車メーカーに売る。そのすりあわせはAIを使ってモデルベースでやる。
敏史 トヨタはそれにまつわるハードウェア供給のみってことですね。
マスター まあ、今のところ要素技術で言えば、モーターとバッテリーとパワーコントロールユニット供給ぐらいだけどね。いずれは燃料電池もあるし全個体電池もある。次世代のバッテリー開発で1兆円単位のお金がかかるけど、それをやらざるを得ない。その巨額の投資に見合うだけ売っていかないといけない。
敏史 ・・・・これって、要するにデンソーが儲かる仕組みなんですか。
マスター トヨタはパテント開放だから、パテント料は入らないけど、台数が増えればコストが下がってトータルではウィンになるだろうな。世界中に2モーターハイブリッドがなくて困っている自動車メーカーはたくさんあるんだから。
(中略)マスター 寺師さん曰く、「5年分の仕事はすでにある」ってことだから。暖簾出す前にお店の前に行列ができていたみたいな感じだ。』

関連記事
「トヨタ 寺師副社長「この10年がヤマ場で、今こそ協調の時」…電動化技術特許を無償提供」
https://response.jp/article/2019/04/03/320915.html
『電動化技術の基盤について「HVは賞味期限が来てしまったと言われることもあるが、電動化のコア技術はHVで培ったモーター、バッテリー、PCUであり、PHVを含むHVもEVもFCVもこれら3つの技術で構成されている」と指摘、トヨタが生産量や技術蓄積でトップを走るHVが幅広い電動化にも貢献するとの見解を示した。』
「トヨタ 寺師副社長「5年分くらいの仕事が来ている」…電動化技術の提供」
https://response.jp/article/2019/04/08/321113.html

バッテリーの特許技術までは公開しないようだ。トヨタ(及び日本の自動車産業界全体)が何より恐れているのは、中途半端な戦略で結局没落していった、日本の半導体&家電業界の二の舞になることで、電動化の肝となるバッテリーについて、今のところ先行しているとされている、全個体電池にもっと経営資源を注ぎたいのであろう。ベストカー誌(6/26)によると、マツダが開発中の直列6気筒はトヨタ車にも載る予定とのことで、今後さらに、開発のアウトソーシングは進むはずだ。その時、BMWとの共同開発で会得したノウハウが生きるのであろう。
それにしてもAIの進化は末恐ろしいものがある。いずれ“働き方改革”を強いられる?特別なスキルがないと、生身の“人間”は生きにくい世の中になりそうだ。
(次回の自動車の話題は再び過去に戻ります。)

【引用先一覧】
① 「トヨタ・スープラ復活。BMWとの協業の現場から(スープラ開発責任者・多田哲哉氏に聞く(前編)」
https://business.nikkei.com/atcl/report/15/226265/032600242/
② 「「スープラ」販売に自信 トヨタの開発責任者、多田氏」
https://this.kiji.is/504921947374355553
③ 「BMWとの協業からトヨタが得たものとは?」
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1185577.html
④ 「新型スープラには豊田章男社長の思いが詰まっていた」
https://www.goodspress.jp/reports/206546/2/
⑤ 「【新型スープラ開発秘話 PART.2】」(稲田大二郎氏)
https://option.tokyo/2018/09/01/7200/
⑥ 「フェルディナント・ヤマグチのザ・インタビュー(後編)」
ベストカー(3/26号)
⑦ 「トヨタの新型スープラ初披露がレース仕様車だった理由」(桃田健史氏)
https://diamond.jp/articles/-/163285?page=3
⑧ 「トヨタ「スープラ」復活決定!BMWとの共同開発で得たものは何?」(吉田由美氏)
https://www.goodspress.jp/reports/151129/2/
⑨ 「チーフエンジニア多田哲哉氏が語る、トヨタ新型スープラの開発その1」
https://news.yahoo.co.jp/byline/kawaguchimanabu/20180529-00085801/
⑩ 「スープラ復活を渇望したのは豊田章男社長だった」
https://www.sankeibiz.jp/smp/business/news/190206/bsa1902060700002-s2.htm
⑪ 「新型スープラ開発秘話 PART.3】」(稲田大二郎氏)
https://option.tokyo/2018/09/01/7207/
⑫ 「スープラ開発責任者・多田哲哉氏に聞く(後編)」
https://business.nikkei.com/atcl/report/15/226265/032600243/?P=1
⑬ 「トヨタ自動車 多田哲哉(4)欧州を走り込み確信したクルマ作りの真髄」
https://www.goodspress.jp/columns/61282/2/
⑭ 「新型スープラ開発トップが初めて明かす!「トヨタ×BMW初コラボ」開発秘話」(小沢コージ)
https://wpb.shueisha.co.jp/news/lifestyle/2018/08/21/106845/
⑮ 「Toyota GR Supra 新時代の鼓動」(当初はBMWの反応は芳しくありませんでした)
GENROQ 7月号
⑯ 「トヨタ「新型スープラとBMW Z4はもともと別のクルマ」。共同開発における苦労を激白」
http://intensive911.com/?p=124932
⑰ 「新型スープラ開発責任者 多田哲哉氏が語ったBMWとの共同開発の舞台裏」
https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17190449
⑱「BMWとの協業からトヨタが得たものとは? 新型「スープラ」についてGAZOO Racing Company 友山茂樹プレジデントに聞く」
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1185577.html
⑲「まもなく登場予定のトヨタ・スープラが楽しみな理由」
https://carview.yahoo.co.jp/news/market/20180730-10330203-carview/
⑳「新型スープラは、水平対向の86より低重心に作った」
https://car.watch.impress.co.jp/docs/event_repo/paris2018/1148483.html
㉑「新型スープラ 開発責任者のことばを紐解く」
https://www.autocar.jp/newsjp/2019/01/06/338741/3/
㉒「GR Supra 開発責任者からのメッセージ」
https://toyotagazooracing.com/jp/e-motorsports/special/2019/message_engineer.html
㉓「新型スープラ独占取材 Part.1「GR 開発チーフエンジニア 多田哲哉氏 同乗インタビュー」」
https://genroq.jp/2019/05/23080/
㉔「BMW「Z4とスープラとのデザインが全く異なる理由を教えよう。それは”一度しかデザインについて話をしてない”からだ」」
http://intensive911.com/?p=167586


2019.06.12追記
本稿を書き上げた後、ベストカー(7・10号=6月10日発売)の連載記事の、「エンスー開放最前線」(清水章一氏と渡辺敏史氏の対談)で、「スープラの兄弟車の評価」として、Z4を俎上にあげている。以下清水さんの評価を引用させていただく。
『(清水)~BMWのデザインはここんところダメだねぇ』
(渡辺)Z4もですか?
(清水)スープラよりは断然いいけど、いまひとつだなー。スポーツカーはカッコが命だから
(渡辺)スープラ、そんなにダメですか
(清水)まったくダメ。すべてがゴテゴテしすぎる』


以下はZ4のデザインに対しての、清水章一氏による総評です。
BMW Z4 エンスーのたわごと
『Z4はいまひとつ刺さらなかった。最大のポイントはデザインだ。スポーツカーは、デザイン面では一番保守的なカテゴリーで、シンプル&ビューティーが強く求められる。
このクラスはボクスター/ケイマンの寡占化がすすんだけど、そこにアルピーヌやZ4/スープラが殴り込んで、急に盛り上がりつつある。でも依然としてボクスター/ケイマンの強さは揺るがない。Z4と比べたら、断然シンプルでありながらグラマラスで、抑揚が断然イイんだよね。それと比べるとZ4のデザインは小手先に感じる。
アルピーヌは走りは最高だけどデザインバランスはいまひとつ。結局ボクスターに対抗できるのはロードスターだけ。クラスは全然違うけど』

まさに、我が意を得たりです。次回(があれば)は是非、清水氏にアドバイスを求めるようお勧めします。

プロフィール

マルプーのぼんちゃん

Author:マルプーのぼんちゃん
【ぼんちゃん】
推定年齢12歳(2020年6月現在)ぐらいの、オスのマルプー犬のぼんちゃん。年より若く見える。マルプーではちょっと稀な“キレカワ系”💛 性格は、おとなしくてやさしくて人懐っこくて庶民的?でも対犬ではかなり臆病。散歩だけはたくさん(1日1~3時間ぐらい)させてもらっている。選択の余地なく、毎日おっさんの面倒をみている。
【おっさん】
推定年齢60歳+のシガナイ初老の独身オヤジ。ひょんなことからぼんちゃんと2人で暮らすことになったが、おかげさまで日々シアワセに暮らしている。

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