⑥デューセンバーグがアメ車史上最高価格を更新!
デューセンバーグがアメ車史上最高価格を更新!
2018年8月24日、場所はカリフォルニアのペブルビーチで行われたグッディング&カンパニー主催のクラッシックカーオークション会場でのことだ。
『数百人が詰めかけ、えも言われぬ緊張感と高揚感に包まれた会場が、一瞬静まり返る。
「トゥエンティ・ミリオン・ダラーズ!ソールド!!」コンダクターのひと際大きな掛け声とともにハンマーが振り下ろされると、全員が立ち上がり地響きのような歓声と拍手が巻き起こった。』
『手数料を含め2200万ドル(およそ24億8000万円)。それはまた、オークションでのアメリカ車の最高取引価格が更新された瞬間でもあった。』(Vmagazineより)

競り落とされたのは1935年製のデューセンバーグ モデルSSJ。今回はこの車にまつわる話をしたい。


自分が偶然、このデューセンバーグ モデルSSJそのものの写真&記事を初めて目にしたのは、カーグラの1969年8月号(たぶん、表紙は捨ててしまったので)で、今から50年近く前のことだった。カーグラは1969年8月号から、当時小学5年生だった自分が、少ないオコヅカイの中から意を決して定期購読し始めた。初めて自分で買った自動車雑誌にのっていたデューセンバーグの記事を見た瞬間が、クラッシックカーというものを初めて意識してみた瞬間でもあった。
長いけれども、そのカーグラの記事より抜粋する。ここで書かれた高島鎮雄さんの文章に、クラシックカ―について、右も左もまったくわからぬ自分は魅かれていった。(*部分は省略箇所)

『今日では、映画スターがあまりいい車を乗り回さなくなったようである。*しかし第二次大戦前、それも1930年代の初めまではそうではなかった。スターは文字通り銀幕のヒーローでありヒロインであり、富豪であり、大衆と交わることなく上流階級に住み、そこの空気を呼吸していた。』

https://es.wikipedia.org/wiki/Duesenberg_J
『彼らはその名声と富とを象徴するかのようにまるで宮殿のような大邸宅に住み、贅を尽くしたカスタムコーチワークの超高級車を乗り回していたのである。』

http://racingcar.ready.jp/wp-content/uploads/2015/07/1934-Duesenberg-J-Walker-LaGrande-C.C.-Convertible-Coupe.jpg
『*なんといっても1930年代の初期にハリウッドスターたちにもっとも愛用された車はデューセンバーグであったろう。今思いつくままに、デューシーのオーナーだったスターの名を拾ってみても、クラーク・ゲイブル、ゲイリー・クーパー、タイロン・パワーがいる。』

https://en.wikipedia.org/wiki/Duesenberg_Model_J
『*しかも“Mighty Duzy”は男性の中でも特に男性的なスターの専有物だったかと言えばそうでもなく、スウェーデン生まれのグラマー、グレタ・ガルボはフェルナンデス・エ・ダランに2万5000ドルでキャブリオレ・ボディを作らせたモデルJを乗り回していたし、メイ・ウェストはボーマン・シュワルツ・ボデイのコンヴァーティブル・クーペを持っていた。』
ちなみにフォードモデルAが450ドルぐらいだったころの時代の話だ。下の写真は珍しくボディをロンドンのガーニー・ナッティングが架装したもの。

下の写真は2013年公開の「華麗なるギャッツビー」の劇中で、ディカプリオの愛車として登場するモデルJ
http://images.rapgenius.com/c8b9b836a339bc274455545c9c71bd18.640x360x1.jpg
【2020.08.15追記】 この下の黄色のクルマ、「シーザー・ブログ2」さんによると、
https://ameblo.jp/caesar2222/entry-12610159708.html?frm=theme
『この個体自体は、1983年に作ったレプリカで 映画のために購入したんだけど、エンジンは、FORDだし、知ってると盛り上がれない』・・・モデルJに似せて作ったレプリカだったようです。訂正します。

『デューセンバーグにはアメリカのスターや富豪と同時に、幾多のギャングスターたちもその早い逃げ足とすごみのあるスタイルにほれ込んで乗った。』

『そればかりでない。ヨーロッパではスペインのキング・アルフォンゾⅧ、イタリアのキング・ヴィクトル・エマニュエル、ユーゴスラビアのクイーン・マリー、ルーマニアのプリンス・ニコラスといった王侯も愛用していた。』 ウィンザー公も所有していたという情報もある。迫力あるルックスは、王侯貴族の方々にも人気があったようだ。

上の写真は総体銀色に塗られているSJ
https://minkara.carview.co.jp/userid/2258614/blog/m201705/
『*中でも、デューセンバーグといえばまず思いおこされるのはゲイリー・クーパーとクラーク・ゲイブルのふたりであろう。ともに他界して過去の人となったこのふたりは、ある意味ではライバル同士であったかもしれないが、実際にはまったく性格を異にしていた。しかし、たった一つだけ、このふたりに共通していたのはともに車好きで、しかもデューセンバーグに傾倒していたということである。デューセンバーグをクーパーはまちがいなく3台持っていたし、ゲイブルも少なくとも2台は持っていたはずだ。』

1930年、ゲイリー・クーパーとモデルJ
https://heritagemuseumsandgardens.org/automobile/1930-duesenberg-model-j-derham-tourster/
これはクラーク・ゲイブルのモデルJ

『しかもふたりは、全部で470台そこそこしか作られなかったJシリーズ、さらにそのうちでも36台しか作られなかったSJの中でも特に珍しい、2台しか作られなかった珍しいモデルを1台ずつ所有していたのである。それがここに紹介する1936年のウルトラショート・ホイールベースのSSJ(Short Supercharged J)である。』
特にこの終わりの箇所の、畳みかけるような“特別なもの感”がものすごい。この記事を読んだのはまだ小学5年生。しかしいかにクラシックカーの知識ゼロの無知なコドモでも、この車が特別レアなクルマであることぐらいはわかる。

この、凄みのある、ワルなルックスのクルマをひとめ見た時、小学5年生は、はたして何を連想したのだろうか?

答えは、当時大人気で自分も映画館で見たディズニーアニメ「101匹わんちゃん大行進」に出てくる悪役、“クルエラ・ド・ヴィル”の乗る恐ろしいクルマであった!
ご承知の通り、映画自体はダルメシアンの賢い犬が主人公だ。

https://www.youtube.com/watch?v=5_vtYsZ6wpk
以下、「【ツムツム】クルエラのスキル」さんより
http://xn--dckvbl4bao4a0nb4msf7190e85ub914c.com/201601/Cruella_skill.html
『『101匹わんちゃん』に登場する非情な悪女で、本名は『クルエラ・ド・ヴィル』。有名なデザイナーですが、目的のためには手段を択ばない性格で、ダルメシアンの子犬たちから毛皮を剥ぎ取ってコートを作ろうと企んでおり、手下のジャスパーとホーレスに命じて子犬を誘拐させます。』

https://shinshin2323.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_2014-07-04_145059.jpg.html
この“クルエラ”、今見ても怖そうなルックスだ。
これが、たとえばトヨタ博物館所蔵のSJのような、温和なルックスならば、連想もまた違っていたかもしれない。

しかしこの“クルエラ”おばさん、今では一部で人気のキャラらしい。

話を戻して1969年当時の日本においてアメ車は、ほんの数年前まで役所のバックヤードに米軍払い下げの50年代のアメ車の公用車がたくさん残されていたが、当時の高率な輸入関税もあり、それらも国産のクラウンやセドリックに置き換えられ、米軍基地周辺はいざ知らず、ハイヤーとかを除けば、アメ車自体を見る機会はグッと少なくなっていた。まして戦前のアメ車を見るのは皆無に近かった。つまり、実車のクラシックカーを映画以外で見たことがなかったのだ。
一般の日本人に、クラシックカーを見る機会が初めて与えられたのは、1971年に開催されたクラシックカーの展示会、「世界クラシックカー・フェスティバル」が初めてではなかっただろうか。
1400台という膨大な収拾を誇る、当時世界最大の自動車博物館、ネヴァタ州リノのハーラーズ・オートモビル・コレクションより選ばれた30台が、はるばる太平洋を渡って東洋の島国までやってきたのだ。

https://minkara.carview.co.jp/userid/1710370/blog/30583035/
東京晴海、名古屋、大阪で開催されたが、カーグラが後援(たぶん)していたこともあり、自分も晴海に見に行った(入場料はそれなりに高かった記憶がある)。
ただハーラーズのクルマは、カーグラで以前から指摘していた通り、完璧なレストレーションが高じて磨き込みにやりすぎ感があり、せっかくの“実車”なのにリアリティーに欠ける点が多少あった。(大きなプラモデル感があった。)
この“来日”した30台の中に、デューセンバーグも含まれていた。
『赤いSJスピードスターのカットアウトを開き、タイヤを鳴らして恋人の家の玄関に乗りつけることは、当時の若者の見果てぬ夢だった』とは、小林彰太郎さんの名文句で、まさにその真紅なSJスピードスターだったのだが、たまたまこの車は当時のカーグラの記事のように『フェンダーはいささかモダーンに低すぎるし、上細りのウィンドシールドはデューセンバーグらしからぬ。』『軽い失望を味あわされた。』とデューセンバーグらしからぬ押し出しの弱い、魅力薄な車だったと正直に告白していた。

※年間50本の目標達成のため、せこく記事を小分けにします!以下、その⑦に続きます。
2018年8月24日、場所はカリフォルニアのペブルビーチで行われたグッディング&カンパニー主催のクラッシックカーオークション会場でのことだ。
『数百人が詰めかけ、えも言われぬ緊張感と高揚感に包まれた会場が、一瞬静まり返る。
「トゥエンティ・ミリオン・ダラーズ!ソールド!!」コンダクターのひと際大きな掛け声とともにハンマーが振り下ろされると、全員が立ち上がり地響きのような歓声と拍手が巻き起こった。』
『手数料を含め2200万ドル(およそ24億8000万円)。それはまた、オークションでのアメリカ車の最高取引価格が更新された瞬間でもあった。』(Vmagazineより)

競り落とされたのは1935年製のデューセンバーグ モデルSSJ。今回はこの車にまつわる話をしたい。


自分が偶然、このデューセンバーグ モデルSSJそのものの写真&記事を初めて目にしたのは、カーグラの1969年8月号(たぶん、表紙は捨ててしまったので)で、今から50年近く前のことだった。カーグラは1969年8月号から、当時小学5年生だった自分が、少ないオコヅカイの中から意を決して定期購読し始めた。初めて自分で買った自動車雑誌にのっていたデューセンバーグの記事を見た瞬間が、クラッシックカーというものを初めて意識してみた瞬間でもあった。
長いけれども、そのカーグラの記事より抜粋する。ここで書かれた高島鎮雄さんの文章に、クラシックカ―について、右も左もまったくわからぬ自分は魅かれていった。(*部分は省略箇所)

『今日では、映画スターがあまりいい車を乗り回さなくなったようである。*しかし第二次大戦前、それも1930年代の初めまではそうではなかった。スターは文字通り銀幕のヒーローでありヒロインであり、富豪であり、大衆と交わることなく上流階級に住み、そこの空気を呼吸していた。』

https://es.wikipedia.org/wiki/Duesenberg_J
『彼らはその名声と富とを象徴するかのようにまるで宮殿のような大邸宅に住み、贅を尽くしたカスタムコーチワークの超高級車を乗り回していたのである。』

http://racingcar.ready.jp/wp-content/uploads/2015/07/1934-Duesenberg-J-Walker-LaGrande-C.C.-Convertible-Coupe.jpg
『*なんといっても1930年代の初期にハリウッドスターたちにもっとも愛用された車はデューセンバーグであったろう。今思いつくままに、デューシーのオーナーだったスターの名を拾ってみても、クラーク・ゲイブル、ゲイリー・クーパー、タイロン・パワーがいる。』

https://en.wikipedia.org/wiki/Duesenberg_Model_J
『*しかも“Mighty Duzy”は男性の中でも特に男性的なスターの専有物だったかと言えばそうでもなく、スウェーデン生まれのグラマー、グレタ・ガルボはフェルナンデス・エ・ダランに2万5000ドルでキャブリオレ・ボディを作らせたモデルJを乗り回していたし、メイ・ウェストはボーマン・シュワルツ・ボデイのコンヴァーティブル・クーペを持っていた。』
ちなみにフォードモデルAが450ドルぐらいだったころの時代の話だ。下の写真は珍しくボディをロンドンのガーニー・ナッティングが架装したもの。

下の写真は2013年公開の「華麗なるギャッツビー」の劇中で、ディカプリオの愛車として登場するモデルJ
http://images.rapgenius.com/c8b9b836a339bc274455545c9c71bd18.640x360x1.jpg
【2020.08.15追記】 この下の黄色のクルマ、「シーザー・ブログ2」さんによると、
https://ameblo.jp/caesar2222/entry-12610159708.html?frm=theme
『この個体自体は、1983年に作ったレプリカで 映画のために購入したんだけど、エンジンは、FORDだし、知ってると盛り上がれない』・・・モデルJに似せて作ったレプリカだったようです。訂正します。

『デューセンバーグにはアメリカのスターや富豪と同時に、幾多のギャングスターたちもその早い逃げ足とすごみのあるスタイルにほれ込んで乗った。』

『そればかりでない。ヨーロッパではスペインのキング・アルフォンゾⅧ、イタリアのキング・ヴィクトル・エマニュエル、ユーゴスラビアのクイーン・マリー、ルーマニアのプリンス・ニコラスといった王侯も愛用していた。』 ウィンザー公も所有していたという情報もある。迫力あるルックスは、王侯貴族の方々にも人気があったようだ。

上の写真は総体銀色に塗られているSJ
https://minkara.carview.co.jp/userid/2258614/blog/m201705/
『*中でも、デューセンバーグといえばまず思いおこされるのはゲイリー・クーパーとクラーク・ゲイブルのふたりであろう。ともに他界して過去の人となったこのふたりは、ある意味ではライバル同士であったかもしれないが、実際にはまったく性格を異にしていた。しかし、たった一つだけ、このふたりに共通していたのはともに車好きで、しかもデューセンバーグに傾倒していたということである。デューセンバーグをクーパーはまちがいなく3台持っていたし、ゲイブルも少なくとも2台は持っていたはずだ。』

1930年、ゲイリー・クーパーとモデルJ
https://heritagemuseumsandgardens.org/automobile/1930-duesenberg-model-j-derham-tourster/
これはクラーク・ゲイブルのモデルJ

『しかもふたりは、全部で470台そこそこしか作られなかったJシリーズ、さらにそのうちでも36台しか作られなかったSJの中でも特に珍しい、2台しか作られなかった珍しいモデルを1台ずつ所有していたのである。それがここに紹介する1936年のウルトラショート・ホイールベースのSSJ(Short Supercharged J)である。』
特にこの終わりの箇所の、畳みかけるような“特別なもの感”がものすごい。この記事を読んだのはまだ小学5年生。しかしいかにクラシックカーの知識ゼロの無知なコドモでも、この車が特別レアなクルマであることぐらいはわかる。

この、凄みのある、ワルなルックスのクルマをひとめ見た時、小学5年生は、はたして何を連想したのだろうか?

答えは、当時大人気で自分も映画館で見たディズニーアニメ「101匹わんちゃん大行進」に出てくる悪役、“クルエラ・ド・ヴィル”の乗る恐ろしいクルマであった!
ご承知の通り、映画自体はダルメシアンの賢い犬が主人公だ。

https://www.youtube.com/watch?v=5_vtYsZ6wpk
以下、「【ツムツム】クルエラのスキル」さんより
http://xn--dckvbl4bao4a0nb4msf7190e85ub914c.com/201601/Cruella_skill.html
『『101匹わんちゃん』に登場する非情な悪女で、本名は『クルエラ・ド・ヴィル』。有名なデザイナーですが、目的のためには手段を択ばない性格で、ダルメシアンの子犬たちから毛皮を剥ぎ取ってコートを作ろうと企んでおり、手下のジャスパーとホーレスに命じて子犬を誘拐させます。』

https://shinshin2323.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_2014-07-04_145059.jpg.html
この“クルエラ”、今見ても怖そうなルックスだ。
これが、たとえばトヨタ博物館所蔵のSJのような、温和なルックスならば、連想もまた違っていたかもしれない。

しかしこの“クルエラ”おばさん、今では一部で人気のキャラらしい。

話を戻して1969年当時の日本においてアメ車は、ほんの数年前まで役所のバックヤードに米軍払い下げの50年代のアメ車の公用車がたくさん残されていたが、当時の高率な輸入関税もあり、それらも国産のクラウンやセドリックに置き換えられ、米軍基地周辺はいざ知らず、ハイヤーとかを除けば、アメ車自体を見る機会はグッと少なくなっていた。まして戦前のアメ車を見るのは皆無に近かった。つまり、実車のクラシックカーを映画以外で見たことがなかったのだ。
一般の日本人に、クラシックカーを見る機会が初めて与えられたのは、1971年に開催されたクラシックカーの展示会、「世界クラシックカー・フェスティバル」が初めてではなかっただろうか。
1400台という膨大な収拾を誇る、当時世界最大の自動車博物館、ネヴァタ州リノのハーラーズ・オートモビル・コレクションより選ばれた30台が、はるばる太平洋を渡って東洋の島国までやってきたのだ。

https://minkara.carview.co.jp/userid/1710370/blog/30583035/
東京晴海、名古屋、大阪で開催されたが、カーグラが後援(たぶん)していたこともあり、自分も晴海に見に行った(入場料はそれなりに高かった記憶がある)。
ただハーラーズのクルマは、カーグラで以前から指摘していた通り、完璧なレストレーションが高じて磨き込みにやりすぎ感があり、せっかくの“実車”なのにリアリティーに欠ける点が多少あった。(大きなプラモデル感があった。)
この“来日”した30台の中に、デューセンバーグも含まれていた。
『赤いSJスピードスターのカットアウトを開き、タイヤを鳴らして恋人の家の玄関に乗りつけることは、当時の若者の見果てぬ夢だった』とは、小林彰太郎さんの名文句で、まさにその真紅なSJスピードスターだったのだが、たまたまこの車は当時のカーグラの記事のように『フェンダーはいささかモダーンに低すぎるし、上細りのウィンドシールドはデューセンバーグらしからぬ。』『軽い失望を味あわされた。』とデューセンバーグらしからぬ押し出しの弱い、魅力薄な車だったと正直に告白していた。

※年間50本の目標達成のため、せこく記事を小分けにします!以下、その⑦に続きます。